木曜日, 10月 20, 2011

茶室でお茶会2

前回のお茶会の続きです。
いよいよご亭主がお茶を点てられるのですが、大きな道具が2つ目に入ります。
風炉と漆塗りの棚、そのうちのツマ紅の棚がなんともかっこよい、黒い漆?塗りに小口だけ朱に塗り分けられている。うーんドミノみたい…。単純な道具だけどスレンダーできっちり作り、仕上られている。気になるのでお点前が終わってから先生になんていう棚か聞くと「更好棚(こうこうたな)」と呼ぶそうです。
このお茶会は座敷で行なわれましたが茶会が終わってから、移築された松声庵を拝見しました。薄暗く狭くまさしく小宇宙、あんまり分析できませんがグッと来ましたね、これが空間の力というものか…。



汎用性のある日本文化と前回いいましたが、ここまで究極のスケールの場所は茶室以外には使えませんね。汎用性のある道具を駆使して専用の空間を造る…それが贅というものか。それも日本らしい贅沢かもしれません。

月曜日, 10月 17, 2011

茶室でお茶会

先日親子お茶会に出ました。
お茶会というより、超初級お茶作法教室という感じです。
襖の開け方、畳での座り方、立ち上がり方、床の鑑賞姿勢など本当に超初級、懇切丁寧に教えてもらいます。
お菓子が懐紙に乗って出てきます。食べ物が器ではなく紙に乗っている事、それを床の上に直に置く事、上下足の習慣がある日本ならではの作法だなとつくづく実感。
懐紙や畳の部屋のユニバーサルな感じがいろんな物にあるのは日本的ですね、風呂敷なんかもそう言えるでしょう。
茶道に臨む服装、ここでもマルチミー二ングな道具が登場します。今回は参加者全員普段着なのですが、扇子だけは必要と貸し出されます。
席について、お辞儀をするさい扇子を自分のひざの前に置き挨拶します。そしてお菓子を頂く時には背後の床に置きなおします。
これは扇子で「結界」をつくり下の世界からご亭主にご挨拶をするということだそうです。
挨拶が済んで扇子を後ろに廻して「結界」が解かれてお菓子が出てくるという寸法です。
扇子は涼風器でもあり、結界にもなり、江戸の後期では切腹の短刀の代わりにもつかわれていたそうです。そういえばバブル景気の頃はジュリアナでも象徴的に振られていましたね。ハレからケまでの意味をなす扇子っておもしろいし、6寸位の紙束一本で空間に意味を見出す日本人もおもしろい。

火曜日, 9月 27, 2011

古本屋

休日、用事があり街へ行きました。そこで古本屋のオヨヨ書林がせせらぎ通りにオープンしたのを思い出し寄ってみました。
店主は旧知の女性、ちょっと会わないといつも違う事をしている、建築好き、本好きの才女。






店は、大正期の鉄工所を改装して使用しています。なんちゃって帝冠様式かな?
古本の雰囲気にぴったり。
私は古本屋が好きで、特に県外行ったときに街角で見付けると結構ふらっとはいる癖がある。そうすると、旅の途中なのに重い荷物を持って帰るはめに…。
今回はルイス・カーンの古本を購入。

そういえば、子供のころ近くの「島」という50円のお好み焼き食べるのによくうろうろしたけど、いつのまに「せせらぎ通り」って言うようになったのだろう…。

月曜日, 9月 12, 2011

石川国際交流サロン


石川国際交流サロンへ行ってきました。
場所は21美の後ろ。
この辺、本多町や里見町とか周辺にはわりと大きめの古めかしい民家がポツポツ残っています。
そんな中内部が見れるのは今は公共施設となっている国際交流サロンです。
間口の狭い軒の低いいわゆる庶民の金沢町家は結構古くからそこに住み続けている人がいたりしますが、中心街近くの住宅は元の家主がリッチマンが多く、面積も大きく、手が込んでいます。リッチマンであるからこそ、栄枯盛衰が激しく、何回も家主が変わっているそうで、今は料理屋さんなどになっているところが多いです。このサロンは自治体が購入して交流サロンとなっています。
大正期の住宅で、元加賀八家の横山家の邸宅だけあり、土蔵が玄関横に備わります。それと奥のプライベートの棟と挟まれた中庭が美しいです。その二つをつなぐ様にたぶん元客間だったと思しき座敷の棟があります。
玄関からは中庭は見えずあまり奥行きが感じません、座敷に向かう廊下を通るとパッと開けて、急に中庭を中心とした美しい奥行きある空間に飛び込むような演出がされた導線になっています。
そして、奥の間に進むにつれて、庭木が密になるように仕掛けてあり、そんなに広いお庭ではないのですが凄く奥行きを感じさせるつくりになっています。
縁側は珍しく畳敷きで、アルミに入れ替えないで木製の建具のままです。現在のエコ住宅推奨の流れには逆らっていてきっと冬は寒いんでしょうが、それでも何物にも変えがたい雰囲気があります。 この日は暑い日でこれも今では珍しい簾戸がいれてありました。幼いころよく見た光景でなんだか感動してしましました。レイヤー・フィルターとかいって格子や半透明の素材で空間を重ねて見せるのが現代建築にも見られ毎回感心しますが、簾戸がこんなに心に響くのは幼い時の経験が断絶していたからよけいなんでしょうか。 建物の解説をしてくださったサロンの方が、文明だけが先走ってはいけない、文化を発展継承するために文明が役立たなければ、そしてたぶん日本人は美しい事を排除できないというようなお話に納得。

水曜日, 8月 10, 2011

夏祭り

地元の夏祭りが終わりました。
金沢には大きな・古いお祭りというのはありません。金沢育ちの人間は能登地方の派手な大きな祭りに憧れてるというのは私の勝手な思い込みでしょうか?
現在の市内でいえば金石のお祭りに伝統がありますが、金石は昭和の初めに編入されたので金沢の伝統というとはばかる方もいらっしゃるので微妙です。
地元の夏祭りは小学校のグラウンドで小さな櫓が組まれる盆踊りです。派手な山車もなく、神様や先祖を奉ったり、豊作・豊漁を祈願するわけでもありません。古い歴史があるわけでもありません。
それでも人は「祭り」を催したくなるようです。
そっけないグラウンドに装置は提灯と櫓と紅白幕だけ、昼間見るとけっこう寂しくて、これで盛り上がるのか?とおもいますが、薄暗くなってくると浴衣の子供と極少ない出店とあいまって、見事に祭りの空間に変身します。空間の雰囲気は装置だけで出来上がるものではないのがわかります。派手さも荘厳さもありませんが、祈願するのは地域住民の繋がりです。

金曜日, 8月 05, 2011

天徳院




天徳院
前回書き込みしました小立野小学校のすぐ近くに「天徳院」という寺院があります。
これは皆さんご存知のように、江戸に人質として行ったおまつの方の代わりに江戸から来た玉姫の菩提寺です。
この寺院は黄檗建築様式で金沢では珍しい部類だと思います。寺院の様式は柱と横架材の接合部の形や間隔で見分けますが、まあ専門家でなければ解りにくいです。
その点黄檗様式は窓が真円だとか、正方形の格子だとか手すりがラーメンの鉢のマークみたいな四角い渦がただとかサイン的で見分けやすいです。モダンっぽいといえば言えなくもないし、中華っぽいと言ったほうが当たっているのかもしれません。


先に書いた小学校は江戸時代はこのお寺の境内地でした。
石引通りに平行・垂直に涌波から小立野・石川門までの街路が形成されていますが天徳院の参道は変な方向に曲がっています、地図を見ると天徳院の周辺一体のグリッドが東側に30度ほどずれています。従って小学校や金沢商業の裏手には三角な敷地があります。し天徳院の山門の入口にも三角地があります。
これはなんでなんだろうと不思議に思ってグーグルでそのグリッドの角度で東に行くと皇居にいたります。すなわち江戸城の方角に向かって天徳院は建っているような気がします。
これは偶然なのでしょうか?それとも加賀と江戸の友好の証左として女性二人が入れ替わった事に思いを馳せて建てたのでしょうか?(詳しい方教えてください。)
だとしたら江戸時代の測量技術の高さには驚きです。
また、そんな思いを建物に込めた誰かにも共感します。

木曜日, 8月 04, 2011

新小立野小学校

小立野小学校が完成したので見学しました。

建築物は、世の中のニーズの変化や技術の進歩に伴い同じ機能の建物であってもどんどん内容が変わっていきます。設計者はそれを素早く感じ取り時代についていかなければなりません。
と、書くと建築家は時代に引っ張られる側でリードできない存在なのかという感じもします。しかし学校は、建築物からの提案によって学習スタイルが変化していった数少ない用途の建物だと言われます。

吹抜け空間(アトリウム)、オープンスペース、スライディングウォールによる仕切り、2面採光等、今では一般化されている小学校の作り方は建築家側からの提案で時代々々の規制緩和もあり、それによって授業のスタイルも多様化できるようになったようです。
それは全員が体験・利用した事がある施設だからでしょうか。
それでも、見学中、「最近の学校は…」という声がわりと聞こえるのですが、先のオープンスペース等が登場したのが1970年代なのでもう30~40年経っている事を考えると、それが「最近の~」に見えるということは、地方に浸透するのにはすごく時間が係るのだと感じました。

公立学校は時代のトレンドが公共施設の中でも早い時期に反映される施設でもあります。地域への開放・連携、ワークショップによる設計手法、自然エネルギーの利用、公共建築の木材の利用促進等どれも学校建築に真っ先に取り入れられています。
昔は、木造の和洋折衷の学校が村の近代化の象徴であったように、学校建築は教育以外の意味が昔からこめられていたのかもしれません。

見学した学校は上記の基本は全て取り入れられていて、既存の樹木を残した建物配置がされて所々緑が見えます。コンクリート打放に飴色の着色がしてある外壁はあまり見掛けないもので珍しかったです。

火曜日, 8月 02, 2011

白山市役所




白山市役所

用事があって白山市の市役所に行きました。
門型の建物が目を引きます。
門型のビルというと、パリのグランド・アルシュや梅田のスカイビルがありますが、大きさがこじんまりとしていて、門型と広場の関係がいいスケールです。
門の上にガラス張りのブリッジがあって、渡ってみたいなと思わせてくれます。超高層で展望台に上がってみたいと思うとか、用事がなくても行ってみたくなる市役所っていいんじゃないかと思います。
門型は南北の軸をまたぐように構えていて、北側の旧松任市街と比較的新しい8号線以南の地区を結ぶようなイメージを設計者がしたのではないでしょうか。それを強調するように、南北にケヤキの並木が作られていて門の下を突っ切っています。
ここで市民が憩いの活動をしているとすごくいいなと思えます。市役所をシティーホールと呼ぶのにぴったりです。
広場と内部の市民課のホールがもっとオープンだったらと思うのと、石張りの広場が臨時駐車場になっていたのが残念でした。実際は車で来て用事を済まして帰るという事が地方では一般的だからなかなかせっかくの「広場」が活かされにくいのかもしれません。

月曜日, 8月 01, 2011

建築士定期講習

建築士定期講習というものに行きました。
この講習会は、建築士が3年に一度受講する事が法律で義務付けられています。
頻繁に改正される法律、構造・設備や環境などの最近のトレンド、建築士の義務など講習内容は多岐にわたります。
このような講習は以前はありませんでした。建築士の免許は一度合格すると更新もありませんし、定期的な講習もありませんでしたが、それがどうかということになったのは耐震偽装事件からだと思います。
善良な建築士からは批難もありますが、講習・勉強自体は良い事だと思います。
講習の最後には試験もあり、ちゃんと聞いていないと解答できません。
試験まで終えてみての感想は楽しいものではありませんが、必要な事だと感じました。建築士とて、建築に係る事を全て知っているわけではありません。医師免許を持っていても内科や外科と専門が別れるように、建築士の仕事も細分化が進んでいますし、法律も最近はよく改正されたりしますから、広い範囲の講習では専門外の事や新しい法律の意味・運用法などが理解できます。実務に忙殺され専門外の事になかなか突っ込んで考える時間がとりにくい事を考えるとよい機会だったとおもいます。

この講習は衛星放送でモニターを通して受講します。最初は「テレビ見て1万2千円もとるのか!」と思っていました。
しかしシこれが大間違いで、シナリオ・演出がきちっとしていて、時間配分がされていて、聞きやすいです。要するに講義のクオリティーが高いところで一定に保たれていてどの地域でも同じ品質の講義が提供されます。
いくつも講習に行っていますが、話しベたな講師、時間が押す講師、聞こえない講師などが何が言いたかったか解らない講習もありますから、品質の保たれる一斉放送は悪くないと思いました。
講習内容もさることながら、同じテキストを用いても見る側・聞く側の理解が変わる「演出」の重要性を体感した感じでした。

金曜日, 7月 22, 2011

夏休みの宿題

子供達は夏休みに入りました。
当然宿題がたっぷりあります。
苦手は「カンスキ」。
彼らは、漢字練習帳をそう呼んでいます。「漢字スキル」の略称らしいです。

昨夏、最終日に泣きそうになっていたので、今年は早くから手をつけると息巻く低学年の彼、
「あした」って字は「明るい日」って書くんだっけ?と、ボウズに聞かれ「それっくらい」と言いかけて…、
そうだな、あしたって明るいもんだよな。
教わってるのはどっちだ?

日曜日, 7月 10, 2011

山本基さんの個展

山本基さんの個展が箱根彫刻の森美術館で開かれます。



以下、山本さんの案内文です。



暑中お見舞い申し上げます。私の住む金沢でも梅雨が明け、ギラギラと強い日差しが照り付けています。さて、このたび箱根彫刻の森美術館でこれまでで最大規模の個展を開催致します。今回は、総重量7トンの塩を用いた3つの新作インスタレーションと、写真作品を展示予定です。この美術館の広大な敷地には野外彫刻も多数ありますので、森林浴も兼ねて是非お立ち寄りください。なお、会期前の13日間(7月16日~28日)は公開制作です。

山本基個展 しろきもりへ -現世の杜・常世の杜-

会期;2011年7月30日(土)~ 2012年3月11日(日)
会場:箱根彫刻の森美術館



http://www.hakone-oam.or.jp/詳細はチラシをご覧くださいhttp://www.motoi.biz/japanese/j_news/j_2006/hakone/chirashi_omote_200.jpg


http://www.motoi.biz/japanese/j_news/j_2006/hakone/chirashi_ura_200.jpg


開館時間:9:00 - 17:00(会期中無休)
■入館料:大人1600円 / シニア(65歳以上)1100円 / 大・高校生1100円 /中・小学生800円※毎週土曜日はファミリー優待日(保護者1名につき小・中学生5名まで無料)


■公開制作:会期前の13日間 7月16日(土)~28日(木)


■アーティストトーク:13:30 - 14:30 会場にて7月30日(土)、11月19日(土)、2012年3月10日(土)


■海に還る・プロジェクト:2012年3月11日(日) 15:00~作家と来館者で塩の作品の撤去を行い、そのときに集めた塩を後日、海に還していただくプロジェクトです。ぜひご参加ください。

金曜日, 7月 01, 2011

金沢の建築家11

建築家北川美菜子さんのオープンハウスに行ってきました。



北川さんは東京で設計事務所をされているそうですが、金沢出身の女性で20代。

ここ最近住宅を見せてもらった建築家で最年少です。

例によって住宅は場所を探すのに苦労します。

周囲を2周ほどして到着。現場に行くとすぐにこれが建築家の家とすぐ判ります。
それは奇抜だからではなく、廻りの建物があまりにも紋切り型で高度成長時の悪しきスタイルが多いからかなと思います。
一昨日もある講演会で金沢はこれから産業ではなく文化で生きていかなければならない、そのためにも個々が文化を意識していく必要があると大学の先生がおっしっていました。金沢の時代々々で後世に残った文化があるけれど、我々の時代は何も残せなかったと言うのは金沢で暮らし、文化の恩恵を受けている者としてどうかとおっしゃる。要するに「お前らいいもの作れ」との事。


で、その家は「建築好き」なんだなーと感じる住宅です。20代・女性・建築家と言う勝手に抱いていたイメージが物の見事に裏切られます。四角いブランに方行屋根+モダンな腰屋根と言う建物です。
パッと見新しい挑戦がなされた物には見えませんが、好感ある既視感という感じです。なんだか始原的な雰囲気さえ感じるファサードです。ちかもり遺跡や御経塚遺跡が近くにあるからなんか関係あんのかな~というのは考えすぎか。




内部を拝見させて頂くと正方形の田の字ブランで廊下がなく、家の中をぐるりと一周できます。古い民家によく見られるプランです。

ここまで書くと復古主義か?というと否です。
この家の面白い・新しいところは正方形の4辺に沿って一周すると目に入るコーナーに柱が無くてガラスで開放されているところです。見学中も家主さんや見学者は自然と角に佇んでいます。
大屋根の下の一体空間という趣が頂部のトップライトで示されて、角を開ける事で緩く4ヶ所の領域ができています。

柱を立てる事で場所を示すのではなく、消す事で場所を示めせる事がわかります。
角に柱がないということは構造的にも工夫されているはずなのですがさりげないです。



既視感がありながも、コンセプチャルでいて、でもそれに凄みを持たせない…、というところがこの家の好感度が高いところでしょうか。


水曜日, 6月 08, 2011

ラモーダ

先日、香林坊のラモーダを見る機会に恵まれました。
設計は日本設計。日本のエリート設計組織。

北国新聞の赤羽ホールと同じ設計者 浅石さん。


ファサードのデザインは金沢→和風→黒ということで、市松模様と黒ということらしいです。
谷口吉郎さんが昔、近代建築+和風=障子モチーフとしていましたね。
道路にぎりぎりに垂直に立ち上がるビルばかりの中に裏に抜けるようにエレバーターホールを街に開放していて好感が持てます。アーケードは強化ガラスでできていて、透明感を出来るだけ損なわないように鉄骨もスレンダーです。
ファサードの平面的ずれと立体的ずれがどのような内部空間を作っているのか、外から見るイメージは何かレイヤードされた内部空間を勝手に想像していましたが、それは勝手な想像でいたってシンプルな内部空間です。
この建物のかっこよさを支えているのはディテールの素晴らしさもあるのでしょう、全てに目が行き届いている感じがします。
金沢→和風という解釈はどうでも、目を惹くデザインで香林坊が一気にかっこよくなりました。


1階にはジャーナルスタンダードとBEAMSが入るそうです。新聞によると、ビームスが進出するとその街の価値が上がるとか。
そんな影響力あるのか…。

メジャーなセレクトショップとエリート設計集団で金沢の街が良くなる事はいい事だけれど、地元ショップ+地元建築家ではどうだ!
街医者と大学病院、個人弁護士とローファーム、困った時にはどちらを選ぶか?

火曜日, 6月 07, 2011

金沢海みらい図書館

震災後、なぜだか呑気に建築探訪っていうのもどうかと更新できずにいます。
でも新しい建物ができると見たい衝動に駆られます。

ということで、金沢市の未来図書館に行ってきました。
設計はシーラカンス、プロポーザルで選定された建物で白いキューブに無数の孔が開いている外観が何か新しい空間を予感させます。
まさかこの孔が「海」つながりで船の窓とかじゃないよな~、などとベタな事を考えて中に入ります。
プランは2層吹抜けの書架スペースに面して2層の閲覧スペースが面しているというシンプルなもので、わりと見掛ける空間構成で安心した感じです。
内部空間にはあまりヒエラルキーがなく造られています。
外部空間との連続性とか、居住性とか、スペースの分節とかが図書館建築にとって重要な時代がこのあいだまであったように思いますが、それらに重きを置いているようではありません。
壁面に書架を設けていないからなのか「本に浸っている」という今までの図書館での体験とも違います。
無数の規則正しい丸い小さな窓の効果もあってか、データーの集積装置といった印象です。どこに何の情報があるか全体が見渡しやすくて把握しやすいです。小人になってICチップに入り込んだようでもあります。

図書館というのは、大勢集まっているのだけれどお互いにコミュニケーションはなく、それなのに他者との関係作りを促す施設よりもよっぽど他者に気を使わなければならないという特異な施設だと思います。だったら内外の連続性だの居住性だのとまったりした作為は実は役に立たない、規則だけを与えるだけなのが最善だ・本来的だということなのでしょうか?
書架という回路を結ぶ人というBUS、閲覧机はさしづめRAMとか。当然中身は外から見えないのがコンピューターだから大きな開口部はいらないし…。

どうあれ、ICチップに入り込んだ事はないのだから、そう思えた体験というのは新しいとおもいました。

水曜日, 4月 20, 2011

TAROの塔

岡本太郎さんの生誕100周年だそうです。
テレビでTAROの塔というドラマが放送されていました。
太郎氏が中国戦線に送られて1年足らずの捕虜生活から復員したあたりの話から始まりました。
画面は戦後の焼け野原、何もない事がかえって太郎氏は意欲が沸いたとかで、焼け野原で鼻歌を歌うシーンが今ニュースでみる何もない瓦礫だらけの被災地とだぶります。そこに余震情報のテロップがライブで入り、しかもそれは録画された1ヶ月ほど前の番組で…、現実とドラマがオーバーラップされてわけがわからなくなります。

太郎さんは劇中「太陽は無限に与える」とも言っています。
ドラマの中では、日本がそこから万博まで怒涛の発展を遂げていきました。

偶然のなせる凄い演出を見た気がします。

日曜日, 4月 17, 2011

建築家カタログのフォーラム

建築家カタログの緊急フォーラム「震災を考える」を拝聴しました。

会場の山岸製作所のショールームは満員です。
隣に座っておられた方が「今日は多いな」とつぶやかれていましたから、この震災に対する市民や建築家の思いは強いのですね。

阪神や能登の地震のときの被害の事例から、その時の建築家が果たした応急危険度判定の説明などから始まり、今後の住宅のつくりかたや東京での当日の様子の報告などがありました。
最後に金沢の建築家のお一人が先週一週間被災地に入り文化財などの被害の視察に行ってこられた説明がありました。「なにか建築家ができると言う状態ではなかった。」という生々しい報告には多分我々がテレビで見ているよりもっとひどい惨状なのだろうと想像できます。
そして宮城で金沢から来たと告げると、宮城では昔飢饉の時に金沢から技術支援に来て助けてもらったと言われたそうで、地元では結構有名な話だそうです。それならば今回も金沢が何かをできるんじゃないか、でも何が…、とみんな悩んでいます。すでに被災者の方に空き家を提供されている方の報告もありました。
日本の人は昔から交通や通信が未発達でも隣近所を超えて協力していた事を知りおどろきました。

先が見える事もなく悩んで終わりました。なのに何故集まって議論しちゃうんやろう?

その答えをその夜、NHKでマイケル・サンデル教授の「大震災特別講義」で話してくれました。
ジャンジャック・ルソーは18世紀当時、他者への共感は限定的だとして、「ヨーロッパにいて日本で災害が起きたとしてもヨーロッパで起きた場合と同じ衝撃は受けない」としたけれど、これにみんな同意するか?との質問にほとんどの人は同意しないとの反応です。現代は地域を越えて他者へのシンパシーを感じると…。

水曜日, 4月 13, 2011

日本科学者会議の講演会

日本科学者会議の講演会へ行きました。

テーマは「福島第一原発事故でどんなことがおこっているのか」
講師は深尾正之先生

今みんなが心配な事で、いちば館の会議室は立ち見が出るくらいいっぱいでした。
「科学者会議」というくらいだから科学者がいっぱい居るのかと思っていきましたが、お年寄りからお子さん連れのお母さんや、学生さんまでいろんな人が真剣に聞き入っていました。

TVニュースで言われている事をもう少し噛み砕いて詳しく話をしていただきました。

地震では安全装置は正常に働いて核分裂はちゃんと止まったそうで、そこは技術的にしっかりしていた。
停止後の冷却装置の電源も直後は作動していた。
津波で発電機がショートして冷却装置が作動せず、その後の報道のとおり事故になった。
大筋このような経過だそうです。

と言う事は、機械的な技術は高度な部分ではしっかりしていて想定どおり機能しかけたと言う事、でもそれほど特殊でない技術の部分が脆弱であったらしいです。


質問の時間がたっぷりとられていた。みんな不安なので聞きたい事がいっぱいあるだろうとの配慮です。
案の定質問が途切れる間がありません。

そのうちのひとつ…、
海外からいろいろ言われているみたいだし、プロが乗り込んでくる、日本の原子力の科学者・技術者は世界的なレベルはどうなのか、世界の先端だと聞かされていたが?と…。

お答えは、
日本の技術は、トップレベルといっていい。
しかし危機管理をオペレーションする体制はそうとはかぎらない。とのお答え。


さらには、アメリカはお家芸的に危機のときの備えやマニュアルがしっかりしている。それには戦争までも想定しているという側面もある。とのご指摘。

やっぱりそこなのですか、インターネットの技術も最初は軍用だったとか…。


まったくなんにも晴れないフォーラム…。

現地で頑張ってもらっている英雄……ありがとうございます。

金曜日, 4月 01, 2011

一周年

この拙い文章をみんなで書き出してちょうど1年がたちました。

たくさんの方に読んでいただき感謝しています。

こんなに続けられるとは思っていませんでしたし、一周年をこのような神妙な心持ちで書くとも思っていませんでした。


3.11以前はメディアを通して見る日本はヒステリックに映されていたのに、3.11以降はモラルが高く辛抱強い人間性の高い日本に見えます。それが海外からも指摘されているというのは他とは違う現象なのでしょうか。日本とか東北とか地域性が緊急時にさえ(だからこそ?)でるというのは、いかに地域社会が重要か思い知らされた気がします。

土曜日, 3月 26, 2011

山本基さんのTV「私は塩の芸術家」

山本基さんのTV番組を「また」見ました。
昨年の夏に放送されたものに、追加の編集がされていました。
前回(http://kanakenshu.blogspot.com/2010/08/blog-post_12.html)より基さんの生い立ちとか、家族の方などが出演されていて以前よりいろんな事がよくわかりました。海辺のアトリエもいっぱい映ってうれしい。
高校卒業後、働いて美大へ行く資金をためていた事や、大学院に入れなかった事などが語られていて「やりたい事があるけれど何かの壁があった」というようなことをおしゃっておられました。
こないだの安藤忠雄さんの講演会の話もそうでしたが、すごい人は壁があっても乗越えて行くところが共通していました。
はたから見ていると華麗に見えるのですが才能の前にすごい努力や葛藤があるのですね。

自然から生成された塩を使って、亡くなった妹さんを思って作る「塩の作品」は海に返されます、それがまた食塩に生成されて誰かの体の一部になるのかもしれない。みんな繋がっている作品だと気がつくと、なんだか感じていた尊厳さの元が少しわかった感じです。
地震の後を意識して放送したのではないでしょうが、関連づけて見てしまいます…。
山本さんのウェブサイト  http://www.motoi.biz/

木曜日, 3月 24, 2011

安藤忠雄講演会

安藤忠雄さんの講演会に行きました。
お題は「地方に明日はあるか」です。
地震の後でもあるので、どのような展開の話になるのか?
定員800人の会場は満員、金沢の建築関係者・建築学生のみならず専門外の方も大勢いらっしゃるように見受けられた。やはり世界のANDOである。プロフィールによれば1941年生まれ、同年生まれは早川邦彦さん、長谷川逸子さん、毛綱毅曠さん、伊東豊雄さん、葉祥栄さんら、槙文彦さんが「野武士」と呼んだ世代です。
その代表格が安藤さんと伊東さん。今現在の建築界からの注目度は伊東さんが高いと思います、世間の認知度で言えば圧倒的に安藤さんだと思います。そのちがいというのは伊東さんの挑戦相手が建築そのものや歴史みたいなかんじで、安藤さんの挑戦相手はもっと現実と近いところという感じがします。

冒頭、震災の犠牲になられた方への黙祷がささげることから公演が始まりました。
外国から見れば、日本の大人は良く働き、子供の目が輝いていて見えている。きっと今回の試練も日本は乗り越えられるといっておられた。
それには挑戦を恐れず、前を向いて、大阪のおばさんみたいに元気にしなければならないとおしゃっていた。
びっくりしたのが、「前を向いていれば少々の能力の差なんて関係ない」と言い切っておられた事です。
そして何度も繰り返した言葉が「くふうする」でした。困ったときはいつも何かを工夫してそれを乗り切ってきたとプロジェクトの紹介で繰り返していました。


いろんな、環境や幸運などもあったのかもしれない、当然努力も並ではないと想像できます、ただのいい人であるわけでもないのかもしれません、それでも「前向きでいて」「工夫する」事、至極当たり前でよく聞くことばを本気でやっている事が世界の安藤になった根本だと言う事は嘘じゃないと思います。特に斜に構えるわけでなく、難しく語るわけでなく、前向きに考えて造る。それはSANAAのすなおに考えると言う事とどこか通じる感じがします。両者は、ある意味では対極的な建築ですがどちらも語り口や書いたものにはまったく難解さがないところは共通しています。

まだまだ被災地は予断をゆるしませんが、彼の言う大人が良く働き、子供が目を輝かせ、前をむいて、工夫すれば、きっと復興すると「良い暗示」がみんなにかけられたのではないでしょうか。

月曜日, 3月 07, 2011

KIST卒業作品展

金沢科学技術専門学校・KISTの卒業作品展に行ってきました。http://www.kist.ac.jp/pc/news/main.php?wnm_id=219



金沢市民芸術村のアート工房に展示された建築学科の作品を見て驚きました。どれもこれも「作品」になっています。
プレゼンテーションの技術は凄く進歩しているなと感じました。
自分の学生時代を振り返ると、雲泥の差があります。これを19・20歳の人たちが造ったと思うと結構がんばっているんだなと思います。



その日は卒業生によるプレゼンテーションがあると聞きせっかくなのでお邪魔しました。
どれもこれも良く考えられていておもしろかったです。
吉村先生と酒井先生の講評する視点が微妙に違う事が参考になりました。結構厳しい指摘もありたじろぐ学生も多く、そこに山越先生が助け舟を出すという構図がほほえましいです。

話を聞いているうちに学生の中にもいろいろな経歴の人がいるらしく、大学を卒業後KISTに入学した人や社会人を経験後勉強しに来た人などがいたりするのを聞くと、再チャレンジする環境やそれを認める社会というのが一昔まえよりずっと整っている感じがします。
ぜひともみんな頑張ってほしいと思います。
その寄り道がプレゼンを聞いていると結構大事な事だというのも感じます。作品の質に大差はなくても、プレゼンのしゃべりが堂に入っています。やっぱり経験豊かな人は上手にプレゼンをこなしますし、先生方に指摘を受けても上手に対応します。これは実務においては重要な事です、その訓練のためにも一般公開の卒業審査会というのはよいアイデアですね。

全部で20くらいのプレゼンがありました。作品の完成度が高いかどうかは別にしても、特筆すべきは計画に当たって街や敷地の問題点の発見が押しなべて出来ていたように思います。大学4年生ではない19・20歳の学生としては上々なのでしょう。
完成品での差は、その問題にどれだけ検討や調査をしたかで決まるのが今更ながらよく解らせてもらいましたし、過程を知らない他人にもその差はあっという間に伝わる事も感じました。一度にこんなたくさんのプレゼンテーションを受ける事は聞く側にもそれを教えてくれるみたいです。
どうもみなさんありがとうございました。 就職後も頑張ってください。



土曜日, 3月 05, 2011

ちひろさんのハッピーリノベーション

前職の後輩で金沢出身の木田千尋さんが日本増改築産業協会の「リフォームデザインコンテスト」で関東支部優秀賞を受賞されました。
木田さんは女性で若くから優秀で10000㎡以上もある大病院の設計を任されたり、最近では大事務所に転身し新宿の話題の複合施設を担当したりと、まだアラ30のスーパーウーマンです。
そのバイタリティーを自分の住まいでも見せてくれます。
以前の投稿でも書きましたが、政府も中古住宅市場を現状4兆円から8兆円規模に拡大する方針だそうです。http://kanakenshu.blogspot.com/2010/07/blog-post_22.html
そうすると、ユーザーも建築家も工務店も地球環境にもそれぞれにとって重要な意味を持ってきます。
リフォームといえば一時期悪質な業者がワイドショーで頻繁に話題になっていたりしてよくないイメージがあったりしますが、この賞自体は健全なリフォーム産業の発展の為に行われているそうです。
そして彼女はこの流れの重要性と有効性を自分の住まいで体現してみせてくれます。
単なる模様替えではなく、将来の家計設計やライフスタイル等を見据えた戦略的なリノベーションを提案しています。
彼女のサイトでは、良い物件の選び方まで女性らしく丁寧に解説しているので中古マンションの購入やリフォーム前の参考になります。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcds/index.html

そして、そのインテリアはプランが大幅に変更されているわけではないのだけれども、カウンターの位置・材料の使い分け・天井高の変化の3つだけで各領域が意識されて、それでいて一体感を感じてリラックスできる独身女性のための空間を造りだしています。
Beforeの写真と比較すると改めて「デザイン」というものには人を活かす力があるのだと感じませんか。

土曜日, 2月 26, 2011

グローバルスタンダードな群青・朱壁??

以前に金沢の和室の壁について先輩に揶揄されたと書きました。
そのとき声に出せなかった反論はこうです。
「リートフェルトだって同じ赤と青だし、ブルーアンドレッドチェアーは下品か?、モンドリアンなんか金沢の和室そのものじゃないか、なんで和室だとだめなんだ?」と心の中でブツブツ…。

どなたか偉い先生、モンドリアンやリートフェルトが加賀藩の和室を参照していたのだ!とか論じてくんないすかね?
ブルーノタウトタウトが桂離宮をみてディス・イズ・モダンと感激したように、モンドリアンも兼六園の成巽閣を見たらディス・イズ・ディステイルって言わないですかね(笑)。






    上左・リートフェルト 上中右・朱壁と群青 下・東京文化会館




そしてそのことに自信を持ったのは前川國男さんの代表作、上野の東京文化会館にはじめて行ったときです。それまで見ていた文化化会館の写真は全てモノクロでしたが天然色の本物はそれは華やかな内部空間でした。ホワイエの天井は群青いろ、壁も所によって朱色にペイントされています。
これを見たとき「それ見ろ、群青&朱色はグローバル・スタンダードじゃないか!」と、どっかで言いたいな~と、ずーっと思っていて…、

今言っちゃいましたね。

カンディンスキーが「熱い抽象」で、モンドリアンが「冷たい抽象」なら二条城黒書が「熱く」て、成巽閣書見の間が「冷たい抽象」か…。   うん、きっとモンドリアンやリートフェルトが見たら泣いたと思う(笑)。







               左・モンドリアン  右・金沢の色入洛壁




 たわごとです、……。




金曜日, 2月 25, 2011

耐震補強

ニュースを見ているとNZは日本と同じく地震が多い国。
そして、大地震の度に建物の耐震基準が強化されていくことも日本と同じ。
さらに、古い建物がなかなか補強されず多く残っているのも同じ。

以前、小松の建築士の方がおっしゃっていた言葉を思い出した。彼は新築物件は少なく耐震補強の設計を多く手掛けている。
新築を「作品」として作ることも大切だけれども。耐震補強設計は「設計事務所しかできない仕事である」から使命感を感じているおしゃっていた。それを笑顔で語っていた。

新築工事なら工務店・ハウスメーカーでもスイスイやるが、設計も工事も利益が薄く手間がかかり派手さがない「補強の設計」は設計事務所でなければ出来ないと誇らしげにおっしゃっていた。30代の若い設計士だけけれども、デザインデザインデザインデザインと言う若い設計者とは一線を隔している。
本人は「デザインがうまくないから」と謙遜していたが…。きっと言いたいことは違うのだろう。

水曜日, 2月 23, 2011

野町湯復活

金沢に野町駅とい駅があります、その駅前に野町湯という銭湯があります。
ここは前回書いた「西の茶屋街」から歩いて5分くらいです。ここは3年くらい前に営業をやめたのですが昨年再開してくれました。子供のころ親友としょっちゅう通った銭湯なので大変うれしいです。
自分の子供のころの行動範囲内にモザイク画があるような銭湯が5件はありましたが今は2件だけです。近くに都湯というのもよく行きましたが今はありません。


久しぶりに銭湯に行くと自分の体と精神がなまっているのがよくわかりました。それというのも湯船が熱くて入れないのです。大抵、薬湯と普通の湯の2つの湯船があるのですがどこでも決まって薬湯はぬるく普通の湯は熱いのですが、しょうがなく薬湯にとりあえず入ります。隣のおじさんと「ここの風呂こんな熱かったんけ?」「おいや、洗い場が寒いし熱ないとゆざめすれんて」と会話し、このままあがってしまうのも男がすたると意を決して大きい湯船に入りましたが1分もたずに、若いころこんな熱い湯に入っとったんか??と思いながら、ギブアップ。


さあ、建築です。子供のころはなんとも思わなかった風呂屋が宝の山に見えます。
入口の庇の軒天は竹を割って並べてあります、入口の戸は縦涌模様の型ガラス、窓ガラスは渦文様のガラスこの辺は水を使う商売だからか?窓枠にもくり型がついている、脱衣場の天井はモスグリーンの格天井で銀杏も取ってあります(風呂屋は寺院を模していると言う説はホンとか?)、脱衣棚は無垢の木製、錠前も真鍮か、なんといってもモザイクタイルがかっこい~、体重計や脱衣籠も昔のまんまです、福助と招き猫が対になって番台の上に鎮座しています。
幸い脱衣所にお客さんがいなかったので、番台のお母さんに写真を取る許可をもらうことができました。



上の看板は今で言うホームパージ、銭湯は情報交換の場であったことが思い出されます。
さいごはお決まりのコーヒー牛乳をいただいて、おばちゃん「あんやと」。

日曜日, 2月 20, 2011

戦場カメラマンの職能

先日ITビジネスプラザ武蔵でJIA(社団法人日本建築家協会)の石川地域会のフォーラムに行ってきました。
テーマは「建築家の職能」で参議院議員の岡田直樹さんが「政治家の職能」という基調講演をされて、山野市長も飛び入りで話をされた。
「建築家の職能」を問うとか、向上させるということはJIAの大切な目標のひとつで、政治家、弁護士、医師と比較して話が進みました。
弁護士、医師と建築家はよく比較されて、…というか建築家のほうが引き合いに出すことが多いですね。
岡田さんは政治家の年金制度も退職金制度もかわり、なんの保証もない極めて不安定な儲からない職業で、それでもやるのは志しかないと言う趣旨のこともおっしゃっていました。
そんなに金銭的に苦しいのも問題じゃないのかな?人の心配してられないような収入では奉仕もできないんじゃないですかね。頑張る人にはそれなりの見返りはあっていいと思いますが。

昨日たまたまNHKのディープピープルと言う番組を見ていたら、戦場カメラマン3人がそれぞれどんな思いで写真を撮っているかを話していました。
これ以上ないような危険を伴う職業でありながら、どうもなかなか金銭的には恵まれない職業らしいです。
渡航費をバイトで稼ぎ戦場へ行く…、儲からないのに、死ぬかもしれないのに。
ロバート・キャパは戦場カメラマンの本望は「失業」することだと言ったそうです。

高橋邦典さんは被写体の為になにかいいことが起こる写真を撮りたいといい、
渡辺陽一さんは紛争地域で一緒に生活しながらそこの生活感を伝えたいといい、
宮嶋茂樹さんはプロから見てすごい写真、みんなの記憶に残る写真をとりたいといいい、そしてなぜ撮るかと言えば「プロとして報酬を得るため」と言い切りました。

人のためになって、使命感があって、賞賛されたくて、お金がほしい。ということですね。

まっとうですよね、そのうちどれの比重が高いか低いかは個人差があって当然ですから、どの職業でも当てはまりますよね。
戦場カメラマンの話を聞いたほうが「職能」って解りやすかったし前向きになれました。きっと、進んで戦闘地域に行く彼らは他の職業なんかと比較なんかしてられないでしょうね。

水曜日, 2月 16, 2011

マイノリティーな西(その1)

金沢は犀川と浅野側という2つの川があってその真ん中が中心市街となっています。川の外側にそれぞれコミュニティーができあがっていて、極が2つある感じがします。人もなんとなく犀川人と浅野川人みたいな気質というか、巨人阪神みたいなファンというかそんなことを感じているのはじぶんだけなのでしょうか?芸妓の踊りも東は西は西川流と違うそうです。
そうです、芸妓さんが金沢にはまだいらっしゃいます。金沢には有名な茶屋街が3ヶ所現存します。
東・西・主計の三つは,まだお茶屋の営業されています。
特に有名なのは東の茶屋街、観光ポスターなどによく使われており、早くから街の整備もされていました。
自分は地元が犀川の左岸で、西の辺りが子供のころからの行動範囲だったので「西」のほうが親しみがあります。何年前ころからか西の茶屋街も整備・修景されて観光の人々も見かけるようになりました。


建物の履歴も東の方がずっと古いそうです。
西は江戸時代からよく火事の多かったところで比較的建物が新しいです。
その訳は西も東も川の近くにありますが西側が河原の東の茶屋街よりも、西側が集落の「西の茶屋街」のほうが西風でもらい火をしやすかったと「まいどさん」に聞きました。
建物の特徴は町家よりも2階の階高が高いところです。町家は1階が主空間で2階はうちでは「アマ」と呼んでいましたが基本物置で、居室の場合も小屋裏に仕上げを施して住んでいる感じで天井は低かったです。しかし茶屋建築は2階がお客さんが遊ぶ座敷になっていますから階高に余裕を持たせてあります。一説には江戸時代は不敬になるから、庶民は2階に部屋を作ることを禁じられていたが茶屋は特例だったとか。
京都と違うのは「置屋」はなくて芸妓さんはその茶屋に住んでいたといいますから職・住が一体化されていたのでしょう。

30~20年前は暗いイメージで観光客がとても通るような町並みではなかったです。江戸から昭和前半までは活気があったのでしょう、ここ10年ぐらいも観光資源として活気付いてきています。多分自分たちが子供のころが一番寂れていた時期なのかもしれません。上町も下町もいっしょくたんにウェットな感じでした。

片町で会合があった帰りに西の茶屋街を通ってみたら、結構お迎えのタクシーが停まっています。まだまだ現役の街であることがよくわかりました。
寒そうに車の外で立っている運転手さんに、忙しいか聞いてみると結構迎えの依頼があるそうです。一時期は寂れてしまって危機だと聞いたころもありましたが、この不景気に忙しとなるとそうでもないのでしょう。彼によると、やっぱり会社の接待、それも県外の企業の方を金沢でもてなす地元の会社という構図が圧倒的に多いそうです。 この西に観光に行ってもお土産を買うようなところは充実していません。でも上町・下町セットになって町の雰囲気が残っているので切り取られたような東とは違う価値が充分あるとおもいます。
ちなみにこの通りの「かわむら」という甘納豆やさんはおすすめです。

土曜日, 2月 12, 2011

ガラパゴス建築2 金沢の雪と群青・紅柄




この写真は主に和室の壁に塗る、プレミックの現代版「入洛壁(じゅらくかべ)」の見本帳です。住宅の和室の土色系や緑系の色味はよく使われるとおもいます。
現場で壁の色を決めるときはこれの大判の見本を現場に当ててみたりしてお客さんと決めています。私がわりと好きな色は右上の色、落ち着いてよく私は使っています。

この下の写真もおんなじ品物の見本帳です。
「はっ?」と言う声が聞こえてきそうですね。
赤や青はどこに使うのか?商業施設?旅館とか?住宅でそんなの使う人はいないだろと思いますよね。
でもいるんです、金沢の住宅のお座敷は朱壁や群青の壁といって一般住宅でも普通に使われています。
私の生まれ育った町屋にも床の間がついた部屋は群青の壁でしたし、親戚の家は朱壁の座敷がありました。もちろん近所のどの家に行っても青か赤の和室がありました。なおかつ木部は全て拭き漆が施され白木の部分は一ヶ所もありません。天井板までもです。
そしてこの見本帳は大手の建材メーカーのれっきとした既製カタログです。そしてこの商品の売り上げの9割以上が金沢と能登の一部だそうです。


以前都会の設計事務所一年生のころ、住宅のインテリアのカラースキムの案を作ったとき、和室に青い壁を提案して、先輩に「君のセンスはどうなってんの?」と怪訝な顔をされました。「えっ?じゃあ赤ですかね?緑じゃちょっと格が低いですし~」とまじめに自分は答えていたのですが、そのとき恥ずかしながらこれが特殊な色使いの壁だと初めて気づかされました、そんなの全国どこにいってもないのです。
金沢では普通だと説明した後の先輩たちの反応は、センスない・どぎつい・落ち着かないなど散々でした。
あとあと実物を見ると反応は、思ったより落ち着いてる・なかなかいけると若干変わっては行くのですが…。皆さんはどう思われますか?


京都や各地の町屋と金沢の町屋の違いをファサードからの違いを専門家的に指摘する事は可能なのですが、門外漢の人が見れば木造2階で瓦があって、平入りで、格子が着いて、たぶん同じに見えちゃうでしょう。一番解りやすい違いは内部の「壁の色」なのです(まあ、町屋に限って色が付いてる訳ではないのですが)。
こんな派手な色が好まれたのは、諸説あるようですが、金沢は雪が多くどんよりとした日が多いので内部を華やかにしたという説が強いようです。今週のこの大雪が1ヶ月も2ヶ月も続けばそうかもしれないな~と、雪かきで痛い腰をさすりながら、これこそ金沢のガラパゴス建築、雪が文化を創ってくれたとすると、雪かきもしょうがないと納得。





























月曜日, 2月 07, 2011

ライトなお茶会

もう1ヶ月もたちますが、お正月に訪問したお宅でお抹茶を頂きました。
伺った家はマンションの一室で、そこの和室でお茶を点ててもらったのですが、別に炉をきった茶室なわけでもなく、「けっこうなお手前で」とか形式的に言うでもなく、全くコーヒーブレイク的にお抹茶を頂いただけなのですが、一様最低限必要な道具は揃っていて、味と雰囲気は味わえてなかなか良いものでした。


この軽いのりのお茶会ところに実は金沢らしさが垣間見えます。
普通の古さの町屋の2階には結構一般のお宅でも炉の切った和室があったり、新建材で造られた最近の住宅でも炉付の和室が結構あります。
大人は人様の家に上がってもうろうろできないですが、子供のころは人の家の中全体で遊びまわっていたので、小さいころそんな和室をよく目撃しました。

茶室があるなんていうと、大豪邸か文化人のお宅をイメージするのかもしれませんが、私がそんなところで遊んでいたはずもなく、ごく一般的な家庭の一般的な住宅でのはなしですです。

なにがいいたいかというと、もちろん綿々と受継がれる作法や流派がきっちりありますし、隣の奥さんは師範だよとか、お花の先生だとかいうかたもいっぱいいらっしゃるし、粋な茶室もいくつも残っていますが、そおいう事ではなく、マンション住まいでも茶道具があったり、普通の住宅に炉があったり、茶道というほど大げさでなく「お茶を点てて楽しむ」事が他の地域よりずっと気軽な普段着ぽい感覚で今でも残っているような気がします、この「ライトな感覚で残っている事」が金沢のいいところだと感じませんか?

水曜日, 2月 02, 2011

大雪で解った事 「路地の広がり」

週末に北陸地方は大雪が降りました。
ニュースの全国版で報道されるほどJRも高速道路も2日間マヒ状態で大変です。
夜のうちからしんしんと降る雪をみて明日の朝の出勤に備えて、少しでも雪かきしておこうとスコップをもって外に出ましたが、やってもやってもすぐに積もるので、お隣さんとも「今日はジタバタするのはあきらめよう」といいながら撤収。
月曜日の早朝心配になって家の前へでてみると案の定、道路も駐車場も真っ白でこりゃ大変だと青くなりました。近所を見渡すと、たまたまなのか?あらかじめ非難したのか?ご近所さんの車がいつもより少ないです。それもあってなのか…?いつもと何かが違って見えました。

我が家の前面道路の幅は4.5m、車を停めるために家の前に5mの空地があります、お向かいさんも3mほど空地がありますので我が家とお向かいさんの間は12~13m空間が開いています。役70mほどのここの街区はお向かい同士の関係はほぼ同じです。
それがいつもより広く感じます。
向かいとの距離は変わるはずがないのになぜだろう?と考えると、道路と敷地の境界線が雪でなくなり長さ70m幅12~15mの一体的な外部空間に見えるのです。

普段も道路と家の前面空地の仕上げ材を統一すれば、晴れた日もこの広がりが感じられるのだろうと思います。なかなかそうはいかないのですが近隣と道路管理者が協力すると味気ない路地が帯状の広場になれる事が雪のおかげで確信でき、大雪もまあ今回はしょうがないと思いながら朝の雪かきをしたのでした。

日曜日, 1月 23, 2011

ガラパゴス建築?擬洋風

尾山神社の紳門の回で「擬洋風」の建物と書きましたが、結構金沢の市井の建物にも擬洋風と言える物があります。犀川の周辺をちょっと歩いただけで6つも見かけました。


明治のころ日本の近代化に伴ってヨーロッパの建築様式が導入され外国人建築家を招いて建設されたり、その教育を受けた日本人建築家(辰野金吾や伊藤忠太等)が設計して様式建築が増えていったのですが、それを真似て大工たちが洋風っぽい建物を建てていきました。建築家の設計の洋式建築とは区別されてそれらを「疑洋風建築」といいます。
昨日まで和風住宅を作っていたのだからやっぱり「擬」な洋風にっています、たぶんオーダーなんてあんまり意識されてないのではないでしょうし、明らかに和風なエレメントと無造作に合体したりしています。日本のガラパゴス建築とでもいいますか、ちょっとほかの国ではない建物なんじゃないでしょうか。当時の周りの反応はどうだっのでしょう?先端のイケてる家と捉えられたのか、おかしなものに見られたのか?全国には文化財となっている「疑洋風建築」もずいぶんあります。

下の写真が私のおススメです。金沢らしいと無理やり言えそうで、町屋の並びにビルトインされた「疑洋風町屋」とでもいうものが面白いです。間口やファサードの分割の構成は隣の町屋に近く、1階だけが「疑洋風」。




写真は当然明治のものではないですが、テレビなんかで見る着物姿にハンチング帽子の粋な旦那とイメージがダブって、なんか微笑ましくないですか?

日曜日, 1月 16, 2011

高気密・高断熱と住宅のアクティビティー

金沢のビルダー・㈱都市住宅のホームアドバイザーさんに会いました。彼は古い友人、家が近いので久しぶりに一緒におでんを食べました。
都市住宅さんは高気密・高断熱の住宅に特色があります。
高気密・高断熱住宅の是非はむつかしい、専門家の間でも賛否両論あります。
彼は、単なるエコのトレンドに乗って高気密・高断熱を提案しているのではありませんでした。
高気密・高断熱を家のアクティビティーを上げるための手段として捕らえています。
アクティビティーと高断熱がなんで関係するか?
自分も町屋育ちなのでよくわかりますが、気密の低い家は寒いです。この「寒い」と感じる時期は金沢なら5ヶ月ぐらいは続きます。その期間家の中では暖房器具のそばに人がよって動きが悪く、子供が一日中こたつに入りっぱなしで動かないで、母親に「あれもってきて・これもってきて」「自分で動きなさい」という光景が思い出されます。
これは健康的な光景ですか?否だとおもいます。心当たりのあるお父さんいるのではないでしょうか?
冬の期間でも普段と変わらず活発に動き回れる環境の家というのは5ヶ月も寒い金沢では相当重要な視点です。
具体的に言うと広々としたワンルームのLDKを相当の面積をさいて造ったにもかかわらず、冬の5ヶ月間は隣の6畳の和室で全員過ごしているといえばイメージできるのではないでしょうか。
また、温度のバリアフリーという視点も大事です。寒い廊下に出るのが嫌だからトイレをぎりぎりまで我慢したり、脱衣所が寒いから冬場の朝のシャワーを控えたり、洗濯する回数を減らしたり、温度差をなくすと、このような事がなくなる=家の中での活動が活発になるし、お年寄りの血管障害も温度差で起こる事も少なくないらしいから安全でもある。
ぬくぬくした環境の家では子供がひ弱になると言う指摘もありますが、こたつに入りっぱなしの子供のほうが不健康、冬でも家の中を動き回っているほうがよっぽど体にも精神的にもいいだろというのが彼の持論。
高気密・高断熱化するとそうとう結露が抑えられます。すると、腐れに強いと言う理由でヒノキ神話に頼らなくても適材適所の木材を使用できるメリットもあります。
環境負荷が低減されて、長持ちするのは今のトレンドでは当然で、その上で家庭生活が活動的でいられる家というのが彼の高気密・高断熱住宅論。単なる環境論者ではないところに共感しました。


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水曜日, 1月 12, 2011

オープンハウスIN金沢5

今年最初のオープンハウスへ行ってきた。
りでこでやの工藤さんに案内をいただいたものです。工藤さんは女性建築士、女性の登場は初めて。
施工はダイモンシステムさん。お話をうかがうと設計者⇔施工者というより、大門さんと工藤さんの共同作業のような感じみたいです。

自然素材・無垢の木材にこだわった家というのが特徴です。というと流行の自然系かと。
しかしお二人の話をよくお伺いすると、はやりすたりの範疇ではなく、長持ちする家・地産地消の家で自然にも、住み手にも、地域にもやさしい建築でありたいとのお話が大変感銘を受けた。今までいくつも見たオープンハウスでは聞けなかった話だった。

最近の木造住宅はほとんど工場のマシンで材木を加工するプレカット工法を用いて現場の大工さんの仕事は組み立てるのが主な仕事、現場では仕口(ジョイント)を加工しませんが、この住宅は全て昔ながらの手作業で大工さんが現場で加工したそうです。
なぜそこまでするかというと、プレカットと手加工では材木どうしのジョイントの精度がぜんぜん違い、金物ジョイント全盛の今の工法では木組み軽視がされている事に不安を持っているからだそうです。



内部の仕上げは呼吸する珪藻土を使っています。薄塗りの珪藻土で呼吸の効果が本当に得られるか?との疑問には、「昔のように厚くぬれないのは判っているので面積でかせいでいる」とのこと。それなので天井まで左官仕上げです。これは仕事が上を向いてするので大変な工事でなかなか用いる現場はありません。
そして本気を感じるエピソードは「珪藻土といっても化学糊入りのプレミックスは使わない」ほんとの土と石灰を練って塗っているそうです。

そして防蟻剤も科学薬品ではなく柿渋を利用することを研究中だそうです。最近は海外のシロアリで屋根から侵入するものが国内でも発見されていて、その対応も研究中とのこと。

そんなことをしていると工事費が当然高くなるのですが、それは既成の流通ルートや職人が楽な既製品の建材を使っていてはだめで、足を使い、アイデアを捻り出し良いものを出来るだけ安く調達する努力をしているそうです。 階段の凝ったデザインに見える手すりは自動車部品の型抜きの後の廃材利用だそうです。なんだかかっこいい。

足とアイデアと信念でできた住宅で勉強になりました。

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