joさんの言う……意匠が提案する不合理性に対して、「できない」で終わる地方と、基本となる合理性にどれだけ非合理を反映したシステムを提案できるかを試考する中央。
私はそんなふうには思いません。そもそも建築家の提案が不合理であるなんて思っていません。(そんな設計者もいるんでしょうけど)構造設計者といっしょに今回の物件にどう合理性をあたえるかを考る、それができたとき物件が建築に昇華されるような…。
キャッチボールの繰り返しの多さの勝負じゃないですかね。
「建築家の不合理に対応する」というあたりがそもそも被害妄想的で、あえて言うのならその被害妄想的な受け止め方をするかしないかが格差ではないですか?
建築家も構造家も技量というものはあります。毎回そこをもう一歩踏み込もうというのに一緒に付き合うかどうか程度の話です。まあその程度の話が大変なんですけどね。
先日も建設新聞のインタビューに隈研吾さんが「建築は粘りだ」って答えてたじゃないですか。
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