金曜日, 4月 02, 2010

フニクラ

サグラダ・ファミリアについて紹介したが、設計者はご存知の通り天才建築家 ガウディ である。


ガウディが天才といわれる由縁は、彼が構造合理主義者であることに他ならない(と、個人的に決めさせて頂く)。

サグラダ・ファミリアの形態は、ガウディの逆さ吊り実験により求められている。

逆さ吊り実験とは紐を天井から吊るし、そこに建物の自重分布に相当する重りをぶら下げていく。

その中で得られるカテナリー曲線が重なって、引張力のみが作用する曲線が形成される。

その形を引っくり返すと、今度は軸方向の圧縮力のみを負担する美しいアーチが形成される。

ガウディはこれをフニクラ(懸垂線アーチ)と呼んだ。


一見、複雑そうに映る構造もフニクラのような単純な幾何学で形成されると構造的に合理的で、そして、それは美しい。

海外では例の多い、逆転懸垂型シェルなども同じ構造力学である。

残念ながら、日本のような地震国では、鉛直力だけではなく水平力に抵抗する要素を考慮しなければならないので、このような構造を成立させるのは難しい。


しかし、このような、単純な幾何学の組合せは複雑だが理解しやすく、規則性があるがために構造計算、施工にかかる時間も短縮され、コストも抑えられる。

近年、サグラダ・ファミリアの施工が急速にスピードアップされたのもそのためだ。

単純な幾何学で成り立っているため、自動工作機械の導入が可能となったからである。

「果たして、完成することで魅力が生まれる建築なのか?」 という、個人的な疑問は残るが・・・。

 

しかし、この構造合理主義は地方の面白いことをやりたい設計者にとっては必要な考えではないかと思う。

コストが低い、設計工期が短い、構造担当者が一貫計算ソフトに依存しなければならない、

というような設計事務所の抱える実情は、

意匠設計者が構造合理主義者に成れることで面白いものに変わっていくのではと、

思ってしまう。

 

知ることで無くなる可能性と、知ることで生まれる可能性の境界は難しいが、

少なくともこの場合は後者である。

地方のような条件でも、意匠が構造を勉強し、提案することが出来ると、

面白い、美しい建築を現実的に成立させることが出来る可能性が生まれる。

その可能性は潰れない。

何故なら、構造計算は提案した意匠設計者ではなく、構造担当者が行い、判子を押すのだから。


でも、
やっぱり、

サグラダ・ファミリアは創造され続けることで魅力が生まれると思う。


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木曜日, 4月 01, 2010

Gaudi

Gaudi



 ・ ・ ・ 個人的に、このブログの名称にしたかった言葉

せめても、第一話のタイトルに飾らせてもらいました。

さて、『金沢で建築やら住宅をしてる衆のブログ』と、云うブログを始めます。

このブログは、名の通りで、それ以上のことはメンバーすらも解からない。
今のところ可能性は無限である。


第一話という事で、私が建築に魅かれた初めてをかぶらせてもらう。
私が建築に魅かれたのは、サグラダ・ファミリアを知った瞬間である。
高校生だった時分に、その存在に気づき、文献をあさる程にその想いは強くなっていった。
「大学をハネッたら、スペインに行って外尾悦郎になる!!」
「そして、違いのわかる男としてコーヒーのCMに出る!!!」
など、本気で思っていた程にだ。
 
サグラダ・ファミリアに魅かれた理由は、建築的な要素というより、
「百数十年、造り続けられ、そしてこれからも創造され続ける、終わりのない建築。」
と、いうコンセプトに引っかかって抜けられなくなったからだ。
 
 こんなにも新しいものは これまでも そして これからも無いだろう
 
と、思っていた。
 
今は、仕事がら少々専門的になり、少し知りすぎた感があり全てを肯定できるわけではないが、その想いは変化していない。
 
しかし、この憧れに反して、未だ、スペインを訪れ彼に対面したことはなく。この行為は、私を常に躊躇させる。
それは、自分の中のサグラダ・ファミリアの可能性が有限になるのが嫌だからで。
裸眼で見て、触れ、感覚を覚えることで、その事実から離れられなくなるという行為が嫌だからだ。
進むほどに光というものが失われていく、この時代の中で、強い光を消すという行為は、生きていく意味を失っていくことに等しい。
 
このブログは、今、開かれたばかりで私にすら想像できない可能性を秘めている。
解放されたストーリーは、私にどんな夢をみせるのか、強い光になる。
 
ちなみに、
サグラダ・ファミリアには、必ず逢うことになる。
いつか、必ず。
何故なら、
彼を知ることは、彼に触れることの半分も重要ではないのだから。
もう少し、強い光として、夢をみさせてもらってから 。。。