Gaudi
・ ・ ・ 個人的に、このブログの名称にしたかった言葉
せめても、第一話のタイトルに飾らせてもらいました。
さて、『金沢で建築やら住宅をしてる衆のブログ』と、云うブログを始めます。
このブログは、名の通りで、それ以上のことはメンバーすらも解からない。
今のところ可能性は無限である。
第一話という事で、私が建築に魅かれた初めてをかぶらせてもらう。
私が建築に魅かれたのは、サグラダ・ファミリアを知った瞬間である。
高校生だった時分に、その存在に気づき、文献をあさる程にその想いは強くなっていった。
・ ・ ・ 個人的に、このブログの名称にしたかった言葉
せめても、第一話のタイトルに飾らせてもらいました。
さて、『金沢で建築やら住宅をしてる衆のブログ』と、云うブログを始めます。
このブログは、名の通りで、それ以上のことはメンバーすらも解からない。
今のところ可能性は無限である。
第一話という事で、私が建築に魅かれた初めてをかぶらせてもらう。
私が建築に魅かれたのは、サグラダ・ファミリアを知った瞬間である。
高校生だった時分に、その存在に気づき、文献をあさる程にその想いは強くなっていった。
「大学をハネッたら、スペインに行って外尾悦郎になる!!」
「そして、違いのわかる男としてコーヒーのCMに出る!!!」
など、本気で思っていた程にだ。
サグラダ・ファミリアに魅かれた理由は、建築的な要素というより、
「百数十年、造り続けられ、そしてこれからも創造され続ける、終わりのない建築。」
と、いうコンセプトに引っかかって抜けられなくなったからだ。
こんなにも新しいものは これまでも そして これからも無いだろう
と、思っていた。
今は、仕事がら少々専門的になり、少し知りすぎた感があり全てを肯定できるわけではないが、その想いは変化していない。
しかし、この憧れに反して、未だ、スペインを訪れ彼に対面したことはなく。この行為は、私を常に躊躇させる。
それは、自分の中のサグラダ・ファミリアの可能性が有限になるのが嫌だからで。
裸眼で見て、触れ、感覚を覚えることで、その事実から離れられなくなるという行為が嫌だからだ。
進むほどに光というものが失われていく、この時代の中で、強い光を消すという行為は、生きていく意味を失っていくことに等しい。
このブログは、今、開かれたばかりで私にすら想像できない可能性を秘めている。
解放されたストーリーは、私にどんな夢をみせるのか、強い光になる。
ちなみに、
サグラダ・ファミリアには、必ず逢うことになる。
いつか、必ず。
何故なら、
彼を知ることは、彼に触れることの半分も重要ではないのだから。
もう少し、強い光として、夢をみさせてもらってから 。。。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。