15年ほど前に聞いた「室名をはずしても建築でありえるか」との松島氏の言葉は「建築とはなにか」と考えざるを得ない言葉です。
室名をはずしても…、とうのはそのまま受け取ると機能的な要請は本質的には枝葉のことであるように受け取れます。
ローマ時代の建築家ウィトルウィウスは建築の3大要素として「強・用・美」を挙げました。「強がなければ用を果たさず、強・用がなければ美は形だけのもの、美がなければ建築ではない」というような事をいっています。それが建築を定義しているとすれば機能をはずすと建築ではありません。
それでは氏は「用」を軽んじているかというとそのような事はありません。機能からの要請をエクスキューズとすることを許さないという高いモチベーションが言後に隠されています。
先日ある建築関係者の会合で施主をないがしろにしたり、地域性や耐久性への考慮の浅いデザインばかりの建築家はだめだという批判があがり、ユーザー・地域性重視こそわれわれ専門家の為すべき事だとの意見が大勢でした。
そのようなカッコいいだけの建物はあるのでしょう、同時に機能性と耐久性しかない建物も同じだけあります。住宅も町並みの構成員であり、都市の文化を造っているとすればそれは機能無視と同じくらい批判される対象のはずです。
「施主が言ったから」「予算がないから」「敷地がせまいから」「いつもこうやってるから」などと言い訳しながら設計した住宅に住むユーザーに訪れる幸福感は薄らぐでしょう。
ユーザー重視・機能性重視・耐久性重視は必要条件であり十分なわけではありませんその必要条件を満たさない設計者は論外で声高に指摘することではありません。問題視されねばならないのは、ユーザー主義・機能優先をアリバイに実は広義・狭義ともにデザインを怠っている設計者ではないでしょうか。
そういえば松島さんの住宅が数年前「渡辺篤史の建物探訪」で金沢の住宅特集でテレビにでていましたね。
http://www.tv-asahi.co.jp/tatemono/html/housou/04/041225.html
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