金曜日, 6月 11, 2010

金沢の街並1

レム・コールハースによると多かれ少なかれ景観には目標が設定されているはずなのにアメリカ・ヨーロッパ・アジアのそれぞれの都市にはほとんど違いがない、政治機構・経済機構・イデオロギーがそれぞれ違っているのに世界の各都市が似かよって見えるのは目に見える外的要因ではなく、みんながそのような姿を望んでいるからではないかといっている。
それを国内に置き換えると札幌・東京・大阪・広島・福岡そして京都までも市街地で差異を指摘するのはそう簡単ではない。高速移動手段でひとたびご当地に降り立つ限りにおいては何かしらの感動が伴う事はない。金沢においてもそれはなんら変わりない、愛する金沢を貶めるつもりはないが過大評価もできない。
コールハースの言うように確かに歴史や文化が違い景観も目標が設定されているのに違いがない。歩き廻ってみたり、俯瞰してみたりしているうちには違いは見えてくるのだけれど、「独特な町並み」にもどこか既視感はぬぐえない。町屋の格子の寸法やベンガラか白木かの違いを独自性と呼ぶには心もとない。
都市での同時代での生活スタイル自体がそんなに多様であるわけでなく、近代はもちろんのこと時代ごとでモデルとなったものに近づく事をみんなが望んだのだろうから、結果が画一的になるのは当然に思う。そもそも金沢の歴史的景観は町屋が画一的だから価値がある。都市の密度は上がっていくのに高密度な町家が戸建てスタイルに変わっていったのもみんなが等しくプライバシーを望んだ結果であるし、それを高密度と両立したのがマンションである。

現在にいったって町家再生が花盛りである。使えるものは使う事には大賛成、なんといってもオーバーホールされた町家自体がかっこいいし私自身も町家育ちで愛着がある。市の政策の後押しも強いけれども、やはりみんなが望む姿がそうさせているのだと思う。

が!行政の推進するまちなか周辺部では、「伝統環境保存区域」「伝統環境調和区域」などでは瓦屋根や壁の色など厳しい規制がかかっている。両地区とも「伝統」と付いてはいるが金沢の町家で瓦が葺かれだしたのは明治の後半で、それまではほとんど板葺き石置き屋根(今でも野町の広小路近くの森紙店一軒が現存する)。瓦自体が悪いのではないが「伝統」とつけることで歴史解釈に誤解を与えないのだろうか。沖縄の赤瓦も明治の後半以降のものなのだが私はてっきり琉球王朝時代の都市がみんな赤い屋根だと思い込んでいたし、建築家もそれをコンテクストとしてそれを読み込んでいた。きっと加賀百万石の都市は瓦葺だとみんなが誤解する…音楽堂のように。
いっそ「観光環境保存地区・観光環境調和区域」では…露骨なのか?観光で金沢が潤うのはみんなが望むことだとおもうが

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