水曜日, 6月 23, 2010

金澤町家-2

先週に引き続き金澤町家について書こうと思います。
ひとくちに町家と言っても、町家系・武士系があります。
武士系とは、武家屋敷や足軽屋敷などの事です。
今回は、皆さんが馴染み深い町家系について書きます。

金澤町家は、藩政期から昭和25年頃までに建てられました。
町家系は、藩政期には主として商人や職人の店舗・作業場兼住宅として建てられたものですが、現在は店舗・作業場の用途がなくなり、住宅専用として使われています。
特徴としては、切妻平入りで、道路に面して隣家と軒を接するように敷地間口一杯に建っている点で、2階の階高も時代と共に高くなってきた。
藩政期には10尺建・12尺建の高さ制限があったようで、2間半建・3間建が建てられるようになったのは明治以降である。

町家系タイプとしては、
【平屋型】
平屋建で2階がない町家で、1階庇が付いていますが、大屋根との隙間がなく、大屋根の軒の出も浅いのが特徴です。
金沢では旧城下域の周辺部などに若干見られ、古いものが多く、中には石置き屋根の建物もあります。
【低町家】
表柱が2間(≒3.6m)強の建物で、軒先の高さは4.3m以下です。
金沢の伝統的な形の町家であり、明治期まで建てられていたが、それ以降はほとんど見られなくなった。
【中町家】
表柱が2間半(≒4.5m)強の建物で、軒先の高さは5.0m以下です。
2階の天井は何とか頭がつかえない程度の高さです。
【高町家】
表柱が3間(≒5.4m)以上の建物で、軒先の高さは5.0m以上です。
明治末以降、町家はどんどん高くなり、2階の天井も部屋として十分な高さになってきました。

このように、時代と共に2階の居室化の必要性が高まり、町家は高くなっていった。
町家の改修現場で、2階を部屋にするために低い町家を改造している痕跡を見ることがよくある。

皆さんも、注意深く市内を散策してみると、新しい発見があるかも…。

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