木曜日, 4月 29, 2010

金沢の建築家1

谷口吉郎
「金沢で建築やら…」と名乗っているので地元の住宅や建築家などを順次ご紹介しながら自分の思いも書こうかとおもいます。

初回は「地元の建築家」というと恐れ多いですが金沢と建築を語る時、避けて通れない巨匠谷口吉郎さんから始めなければとおもいます。

金沢市の名誉市民第一号、文化勲章受章、金沢が誇る偉人です。谷口吉郎さんは九谷焼の窯元がご実家で、東京工業大学の教授であり建築家でもあります。旧制金沢二中出身ということは現在の金沢錦丘高校、なんと私の大先輩ということになります。
同時代の建築家としては、前川國男、吉村順三、坂倉準三、丹下健三、これら綺羅星のごとく輝く近代建築の巨匠の一角をなしています。
息子さんは今や世界的建築家 谷口吉生さんです。お弟子さんには清家清さんがいらっしゃいます。
代表作は藤村記念館、資生堂会館、帝国劇場、慶応義塾校舎、東京国立博物館東洋館等多数あり、どれも歴史に残る名作とされています。
金沢に現存する作品はスカイビル、繊維開館、商工会議所、金沢中央ビルディング、旧石川県庁舎新館、金沢歌劇座など多数にわたります。

インターナショナルスタイルが主流で建築が抽象化されていく時代に「風土美」や「意匠心」といった事を重視し日本の伝統と近代建築との融合を図りました。最も分かりやすい特徴は「縦」を強調したデザインであることです。
これは障子や格子組みの意匠を意識していた、特に故郷金沢の町屋の格子からきているなどと指摘されています。一方、ドイツの新古典主義の建築家シンケルに影響を受けていたとの事も「縦」を強調する事に繋がっているとも言われます。
この縦強調を多用したのは先に述べた近代建築の先駆者たちの中ではめずらしい部類だと思います。コルビジュエの提唱した「横長水平連続窓」という強いテキストがあったにせよ、各人モダ二ズムと「日本的なるもの」との関係に積極的に取り組んでいたにもかかわらずそうはならなかった事を考えると、谷口吉郎の建築は「木造の格子」よりも「古典主義的意味合い」の方が比較的強かったのではないでしょうか。独立柱においては他の作家は地表を開放するための柱という扱いですが、谷口吉郎の場合は正面性や記念性的に扱われている感じがします。
(どちらが優れているということではありません。)


近代金沢の街並みと谷口吉郎
そして金沢の近代の町並みです。金沢もご他聞にもれず表通りでは伝統をスタイルとしての近代建築に明け渡しています。そのこと自体は必然だとおもいます。あくまで私的な印象ですが、特異に見えるのはそれが「縦強調」が多いことです。

壁の場合は縦長の窓の連続、カーテンウオールの場合でも縦方立ての強調、構造体を見せる場合でも柱がちなどの手法が多いように感じます。

さらに独断的な推測ですが、当時の金沢の建築家は意識的・無意識に関わらず地元のスーパースターの作品を参照していたことでしょう。そこに「古典主義的縦」を「木格子的縦」に都合よく誤読した結果ではないのでしょうか。横よりも縦は安易に割ってもイケテルデザインに感じます。しかしそのことで細心が鈍る事が多々あるのでしょうか。それとも見栄っ張りの金沢人気質を柱強調することで表現したってことは……ないですよね。

歴史は繰り返されるのでしょうか。最近はキューブ形の住宅を市内でもよく目にします。現在の金沢で最も評価が高い21世紀美術館、設計者のSANAAの作品を金沢のデザイナーも参照していることでしょう、彼らのノンヒエラルキーの考え方をまたも誤読するのでしょうか。

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