土曜日, 3月 05, 2011

ちひろさんのハッピーリノベーション

前職の後輩で金沢出身の木田千尋さんが日本増改築産業協会の「リフォームデザインコンテスト」で関東支部優秀賞を受賞されました。
木田さんは女性で若くから優秀で10000㎡以上もある大病院の設計を任されたり、最近では大事務所に転身し新宿の話題の複合施設を担当したりと、まだアラ30のスーパーウーマンです。
そのバイタリティーを自分の住まいでも見せてくれます。
以前の投稿でも書きましたが、政府も中古住宅市場を現状4兆円から8兆円規模に拡大する方針だそうです。http://kanakenshu.blogspot.com/2010/07/blog-post_22.html
そうすると、ユーザーも建築家も工務店も地球環境にもそれぞれにとって重要な意味を持ってきます。
リフォームといえば一時期悪質な業者がワイドショーで頻繁に話題になっていたりしてよくないイメージがあったりしますが、この賞自体は健全なリフォーム産業の発展の為に行われているそうです。
そして彼女はこの流れの重要性と有効性を自分の住まいで体現してみせてくれます。
単なる模様替えではなく、将来の家計設計やライフスタイル等を見据えた戦略的なリノベーションを提案しています。
彼女のサイトでは、良い物件の選び方まで女性らしく丁寧に解説しているので中古マンションの購入やリフォーム前の参考になります。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcds/index.html

そして、そのインテリアはプランが大幅に変更されているわけではないのだけれども、カウンターの位置・材料の使い分け・天井高の変化の3つだけで各領域が意識されて、それでいて一体感を感じてリラックスできる独身女性のための空間を造りだしています。
Beforeの写真と比較すると改めて「デザイン」というものには人を活かす力があるのだと感じませんか。

土曜日, 2月 26, 2011

グローバルスタンダードな群青・朱壁??

以前に金沢の和室の壁について先輩に揶揄されたと書きました。
そのとき声に出せなかった反論はこうです。
「リートフェルトだって同じ赤と青だし、ブルーアンドレッドチェアーは下品か?、モンドリアンなんか金沢の和室そのものじゃないか、なんで和室だとだめなんだ?」と心の中でブツブツ…。

どなたか偉い先生、モンドリアンやリートフェルトが加賀藩の和室を参照していたのだ!とか論じてくんないすかね?
ブルーノタウトタウトが桂離宮をみてディス・イズ・モダンと感激したように、モンドリアンも兼六園の成巽閣を見たらディス・イズ・ディステイルって言わないですかね(笑)。






    上左・リートフェルト 上中右・朱壁と群青 下・東京文化会館




そしてそのことに自信を持ったのは前川國男さんの代表作、上野の東京文化会館にはじめて行ったときです。それまで見ていた文化化会館の写真は全てモノクロでしたが天然色の本物はそれは華やかな内部空間でした。ホワイエの天井は群青いろ、壁も所によって朱色にペイントされています。
これを見たとき「それ見ろ、群青&朱色はグローバル・スタンダードじゃないか!」と、どっかで言いたいな~と、ずーっと思っていて…、

今言っちゃいましたね。

カンディンスキーが「熱い抽象」で、モンドリアンが「冷たい抽象」なら二条城黒書が「熱く」て、成巽閣書見の間が「冷たい抽象」か…。   うん、きっとモンドリアンやリートフェルトが見たら泣いたと思う(笑)。







               左・モンドリアン  右・金沢の色入洛壁




 たわごとです、……。




金曜日, 2月 25, 2011

耐震補強

ニュースを見ているとNZは日本と同じく地震が多い国。
そして、大地震の度に建物の耐震基準が強化されていくことも日本と同じ。
さらに、古い建物がなかなか補強されず多く残っているのも同じ。

以前、小松の建築士の方がおっしゃっていた言葉を思い出した。彼は新築物件は少なく耐震補強の設計を多く手掛けている。
新築を「作品」として作ることも大切だけれども。耐震補強設計は「設計事務所しかできない仕事である」から使命感を感じているおしゃっていた。それを笑顔で語っていた。

新築工事なら工務店・ハウスメーカーでもスイスイやるが、設計も工事も利益が薄く手間がかかり派手さがない「補強の設計」は設計事務所でなければ出来ないと誇らしげにおっしゃっていた。30代の若い設計士だけけれども、デザインデザインデザインデザインと言う若い設計者とは一線を隔している。
本人は「デザインがうまくないから」と謙遜していたが…。きっと言いたいことは違うのだろう。

水曜日, 2月 23, 2011

野町湯復活

金沢に野町駅とい駅があります、その駅前に野町湯という銭湯があります。
ここは前回書いた「西の茶屋街」から歩いて5分くらいです。ここは3年くらい前に営業をやめたのですが昨年再開してくれました。子供のころ親友としょっちゅう通った銭湯なので大変うれしいです。
自分の子供のころの行動範囲内にモザイク画があるような銭湯が5件はありましたが今は2件だけです。近くに都湯というのもよく行きましたが今はありません。


久しぶりに銭湯に行くと自分の体と精神がなまっているのがよくわかりました。それというのも湯船が熱くて入れないのです。大抵、薬湯と普通の湯の2つの湯船があるのですがどこでも決まって薬湯はぬるく普通の湯は熱いのですが、しょうがなく薬湯にとりあえず入ります。隣のおじさんと「ここの風呂こんな熱かったんけ?」「おいや、洗い場が寒いし熱ないとゆざめすれんて」と会話し、このままあがってしまうのも男がすたると意を決して大きい湯船に入りましたが1分もたずに、若いころこんな熱い湯に入っとったんか??と思いながら、ギブアップ。


さあ、建築です。子供のころはなんとも思わなかった風呂屋が宝の山に見えます。
入口の庇の軒天は竹を割って並べてあります、入口の戸は縦涌模様の型ガラス、窓ガラスは渦文様のガラスこの辺は水を使う商売だからか?窓枠にもくり型がついている、脱衣場の天井はモスグリーンの格天井で銀杏も取ってあります(風呂屋は寺院を模していると言う説はホンとか?)、脱衣棚は無垢の木製、錠前も真鍮か、なんといってもモザイクタイルがかっこい~、体重計や脱衣籠も昔のまんまです、福助と招き猫が対になって番台の上に鎮座しています。
幸い脱衣所にお客さんがいなかったので、番台のお母さんに写真を取る許可をもらうことができました。



上の看板は今で言うホームパージ、銭湯は情報交換の場であったことが思い出されます。
さいごはお決まりのコーヒー牛乳をいただいて、おばちゃん「あんやと」。

日曜日, 2月 20, 2011

戦場カメラマンの職能

先日ITビジネスプラザ武蔵でJIA(社団法人日本建築家協会)の石川地域会のフォーラムに行ってきました。
テーマは「建築家の職能」で参議院議員の岡田直樹さんが「政治家の職能」という基調講演をされて、山野市長も飛び入りで話をされた。
「建築家の職能」を問うとか、向上させるということはJIAの大切な目標のひとつで、政治家、弁護士、医師と比較して話が進みました。
弁護士、医師と建築家はよく比較されて、…というか建築家のほうが引き合いに出すことが多いですね。
岡田さんは政治家の年金制度も退職金制度もかわり、なんの保証もない極めて不安定な儲からない職業で、それでもやるのは志しかないと言う趣旨のこともおっしゃっていました。
そんなに金銭的に苦しいのも問題じゃないのかな?人の心配してられないような収入では奉仕もできないんじゃないですかね。頑張る人にはそれなりの見返りはあっていいと思いますが。

昨日たまたまNHKのディープピープルと言う番組を見ていたら、戦場カメラマン3人がそれぞれどんな思いで写真を撮っているかを話していました。
これ以上ないような危険を伴う職業でありながら、どうもなかなか金銭的には恵まれない職業らしいです。
渡航費をバイトで稼ぎ戦場へ行く…、儲からないのに、死ぬかもしれないのに。
ロバート・キャパは戦場カメラマンの本望は「失業」することだと言ったそうです。

高橋邦典さんは被写体の為になにかいいことが起こる写真を撮りたいといい、
渡辺陽一さんは紛争地域で一緒に生活しながらそこの生活感を伝えたいといい、
宮嶋茂樹さんはプロから見てすごい写真、みんなの記憶に残る写真をとりたいといいい、そしてなぜ撮るかと言えば「プロとして報酬を得るため」と言い切りました。

人のためになって、使命感があって、賞賛されたくて、お金がほしい。ということですね。

まっとうですよね、そのうちどれの比重が高いか低いかは個人差があって当然ですから、どの職業でも当てはまりますよね。
戦場カメラマンの話を聞いたほうが「職能」って解りやすかったし前向きになれました。きっと、進んで戦闘地域に行く彼らは他の職業なんかと比較なんかしてられないでしょうね。

水曜日, 2月 16, 2011

マイノリティーな西(その1)

金沢は犀川と浅野側という2つの川があってその真ん中が中心市街となっています。川の外側にそれぞれコミュニティーができあがっていて、極が2つある感じがします。人もなんとなく犀川人と浅野川人みたいな気質というか、巨人阪神みたいなファンというかそんなことを感じているのはじぶんだけなのでしょうか?芸妓の踊りも東は西は西川流と違うそうです。
そうです、芸妓さんが金沢にはまだいらっしゃいます。金沢には有名な茶屋街が3ヶ所現存します。
東・西・主計の三つは,まだお茶屋の営業されています。
特に有名なのは東の茶屋街、観光ポスターなどによく使われており、早くから街の整備もされていました。
自分は地元が犀川の左岸で、西の辺りが子供のころからの行動範囲だったので「西」のほうが親しみがあります。何年前ころからか西の茶屋街も整備・修景されて観光の人々も見かけるようになりました。


建物の履歴も東の方がずっと古いそうです。
西は江戸時代からよく火事の多かったところで比較的建物が新しいです。
その訳は西も東も川の近くにありますが西側が河原の東の茶屋街よりも、西側が集落の「西の茶屋街」のほうが西風でもらい火をしやすかったと「まいどさん」に聞きました。
建物の特徴は町家よりも2階の階高が高いところです。町家は1階が主空間で2階はうちでは「アマ」と呼んでいましたが基本物置で、居室の場合も小屋裏に仕上げを施して住んでいる感じで天井は低かったです。しかし茶屋建築は2階がお客さんが遊ぶ座敷になっていますから階高に余裕を持たせてあります。一説には江戸時代は不敬になるから、庶民は2階に部屋を作ることを禁じられていたが茶屋は特例だったとか。
京都と違うのは「置屋」はなくて芸妓さんはその茶屋に住んでいたといいますから職・住が一体化されていたのでしょう。

30~20年前は暗いイメージで観光客がとても通るような町並みではなかったです。江戸から昭和前半までは活気があったのでしょう、ここ10年ぐらいも観光資源として活気付いてきています。多分自分たちが子供のころが一番寂れていた時期なのかもしれません。上町も下町もいっしょくたんにウェットな感じでした。

片町で会合があった帰りに西の茶屋街を通ってみたら、結構お迎えのタクシーが停まっています。まだまだ現役の街であることがよくわかりました。
寒そうに車の外で立っている運転手さんに、忙しいか聞いてみると結構迎えの依頼があるそうです。一時期は寂れてしまって危機だと聞いたころもありましたが、この不景気に忙しとなるとそうでもないのでしょう。彼によると、やっぱり会社の接待、それも県外の企業の方を金沢でもてなす地元の会社という構図が圧倒的に多いそうです。 この西に観光に行ってもお土産を買うようなところは充実していません。でも上町・下町セットになって町の雰囲気が残っているので切り取られたような東とは違う価値が充分あるとおもいます。
ちなみにこの通りの「かわむら」という甘納豆やさんはおすすめです。