水曜日, 2月 23, 2011

野町湯復活

金沢に野町駅とい駅があります、その駅前に野町湯という銭湯があります。
ここは前回書いた「西の茶屋街」から歩いて5分くらいです。ここは3年くらい前に営業をやめたのですが昨年再開してくれました。子供のころ親友としょっちゅう通った銭湯なので大変うれしいです。
自分の子供のころの行動範囲内にモザイク画があるような銭湯が5件はありましたが今は2件だけです。近くに都湯というのもよく行きましたが今はありません。


久しぶりに銭湯に行くと自分の体と精神がなまっているのがよくわかりました。それというのも湯船が熱くて入れないのです。大抵、薬湯と普通の湯の2つの湯船があるのですがどこでも決まって薬湯はぬるく普通の湯は熱いのですが、しょうがなく薬湯にとりあえず入ります。隣のおじさんと「ここの風呂こんな熱かったんけ?」「おいや、洗い場が寒いし熱ないとゆざめすれんて」と会話し、このままあがってしまうのも男がすたると意を決して大きい湯船に入りましたが1分もたずに、若いころこんな熱い湯に入っとったんか??と思いながら、ギブアップ。


さあ、建築です。子供のころはなんとも思わなかった風呂屋が宝の山に見えます。
入口の庇の軒天は竹を割って並べてあります、入口の戸は縦涌模様の型ガラス、窓ガラスは渦文様のガラスこの辺は水を使う商売だからか?窓枠にもくり型がついている、脱衣場の天井はモスグリーンの格天井で銀杏も取ってあります(風呂屋は寺院を模していると言う説はホンとか?)、脱衣棚は無垢の木製、錠前も真鍮か、なんといってもモザイクタイルがかっこい~、体重計や脱衣籠も昔のまんまです、福助と招き猫が対になって番台の上に鎮座しています。
幸い脱衣所にお客さんがいなかったので、番台のお母さんに写真を取る許可をもらうことができました。



上の看板は今で言うホームパージ、銭湯は情報交換の場であったことが思い出されます。
さいごはお決まりのコーヒー牛乳をいただいて、おばちゃん「あんやと」。

日曜日, 2月 20, 2011

戦場カメラマンの職能

先日ITビジネスプラザ武蔵でJIA(社団法人日本建築家協会)の石川地域会のフォーラムに行ってきました。
テーマは「建築家の職能」で参議院議員の岡田直樹さんが「政治家の職能」という基調講演をされて、山野市長も飛び入りで話をされた。
「建築家の職能」を問うとか、向上させるということはJIAの大切な目標のひとつで、政治家、弁護士、医師と比較して話が進みました。
弁護士、医師と建築家はよく比較されて、…というか建築家のほうが引き合いに出すことが多いですね。
岡田さんは政治家の年金制度も退職金制度もかわり、なんの保証もない極めて不安定な儲からない職業で、それでもやるのは志しかないと言う趣旨のこともおっしゃっていました。
そんなに金銭的に苦しいのも問題じゃないのかな?人の心配してられないような収入では奉仕もできないんじゃないですかね。頑張る人にはそれなりの見返りはあっていいと思いますが。

昨日たまたまNHKのディープピープルと言う番組を見ていたら、戦場カメラマン3人がそれぞれどんな思いで写真を撮っているかを話していました。
これ以上ないような危険を伴う職業でありながら、どうもなかなか金銭的には恵まれない職業らしいです。
渡航費をバイトで稼ぎ戦場へ行く…、儲からないのに、死ぬかもしれないのに。
ロバート・キャパは戦場カメラマンの本望は「失業」することだと言ったそうです。

高橋邦典さんは被写体の為になにかいいことが起こる写真を撮りたいといい、
渡辺陽一さんは紛争地域で一緒に生活しながらそこの生活感を伝えたいといい、
宮嶋茂樹さんはプロから見てすごい写真、みんなの記憶に残る写真をとりたいといいい、そしてなぜ撮るかと言えば「プロとして報酬を得るため」と言い切りました。

人のためになって、使命感があって、賞賛されたくて、お金がほしい。ということですね。

まっとうですよね、そのうちどれの比重が高いか低いかは個人差があって当然ですから、どの職業でも当てはまりますよね。
戦場カメラマンの話を聞いたほうが「職能」って解りやすかったし前向きになれました。きっと、進んで戦闘地域に行く彼らは他の職業なんかと比較なんかしてられないでしょうね。

水曜日, 2月 16, 2011

マイノリティーな西(その1)

金沢は犀川と浅野側という2つの川があってその真ん中が中心市街となっています。川の外側にそれぞれコミュニティーができあがっていて、極が2つある感じがします。人もなんとなく犀川人と浅野川人みたいな気質というか、巨人阪神みたいなファンというかそんなことを感じているのはじぶんだけなのでしょうか?芸妓の踊りも東は西は西川流と違うそうです。
そうです、芸妓さんが金沢にはまだいらっしゃいます。金沢には有名な茶屋街が3ヶ所現存します。
東・西・主計の三つは,まだお茶屋の営業されています。
特に有名なのは東の茶屋街、観光ポスターなどによく使われており、早くから街の整備もされていました。
自分は地元が犀川の左岸で、西の辺りが子供のころからの行動範囲だったので「西」のほうが親しみがあります。何年前ころからか西の茶屋街も整備・修景されて観光の人々も見かけるようになりました。


建物の履歴も東の方がずっと古いそうです。
西は江戸時代からよく火事の多かったところで比較的建物が新しいです。
その訳は西も東も川の近くにありますが西側が河原の東の茶屋街よりも、西側が集落の「西の茶屋街」のほうが西風でもらい火をしやすかったと「まいどさん」に聞きました。
建物の特徴は町家よりも2階の階高が高いところです。町家は1階が主空間で2階はうちでは「アマ」と呼んでいましたが基本物置で、居室の場合も小屋裏に仕上げを施して住んでいる感じで天井は低かったです。しかし茶屋建築は2階がお客さんが遊ぶ座敷になっていますから階高に余裕を持たせてあります。一説には江戸時代は不敬になるから、庶民は2階に部屋を作ることを禁じられていたが茶屋は特例だったとか。
京都と違うのは「置屋」はなくて芸妓さんはその茶屋に住んでいたといいますから職・住が一体化されていたのでしょう。

30~20年前は暗いイメージで観光客がとても通るような町並みではなかったです。江戸から昭和前半までは活気があったのでしょう、ここ10年ぐらいも観光資源として活気付いてきています。多分自分たちが子供のころが一番寂れていた時期なのかもしれません。上町も下町もいっしょくたんにウェットな感じでした。

片町で会合があった帰りに西の茶屋街を通ってみたら、結構お迎えのタクシーが停まっています。まだまだ現役の街であることがよくわかりました。
寒そうに車の外で立っている運転手さんに、忙しいか聞いてみると結構迎えの依頼があるそうです。一時期は寂れてしまって危機だと聞いたころもありましたが、この不景気に忙しとなるとそうでもないのでしょう。彼によると、やっぱり会社の接待、それも県外の企業の方を金沢でもてなす地元の会社という構図が圧倒的に多いそうです。 この西に観光に行ってもお土産を買うようなところは充実していません。でも上町・下町セットになって町の雰囲気が残っているので切り取られたような東とは違う価値が充分あるとおもいます。
ちなみにこの通りの「かわむら」という甘納豆やさんはおすすめです。

土曜日, 2月 12, 2011

ガラパゴス建築2 金沢の雪と群青・紅柄




この写真は主に和室の壁に塗る、プレミックの現代版「入洛壁(じゅらくかべ)」の見本帳です。住宅の和室の土色系や緑系の色味はよく使われるとおもいます。
現場で壁の色を決めるときはこれの大判の見本を現場に当ててみたりしてお客さんと決めています。私がわりと好きな色は右上の色、落ち着いてよく私は使っています。

この下の写真もおんなじ品物の見本帳です。
「はっ?」と言う声が聞こえてきそうですね。
赤や青はどこに使うのか?商業施設?旅館とか?住宅でそんなの使う人はいないだろと思いますよね。
でもいるんです、金沢の住宅のお座敷は朱壁や群青の壁といって一般住宅でも普通に使われています。
私の生まれ育った町屋にも床の間がついた部屋は群青の壁でしたし、親戚の家は朱壁の座敷がありました。もちろん近所のどの家に行っても青か赤の和室がありました。なおかつ木部は全て拭き漆が施され白木の部分は一ヶ所もありません。天井板までもです。
そしてこの見本帳は大手の建材メーカーのれっきとした既製カタログです。そしてこの商品の売り上げの9割以上が金沢と能登の一部だそうです。


以前都会の設計事務所一年生のころ、住宅のインテリアのカラースキムの案を作ったとき、和室に青い壁を提案して、先輩に「君のセンスはどうなってんの?」と怪訝な顔をされました。「えっ?じゃあ赤ですかね?緑じゃちょっと格が低いですし~」とまじめに自分は答えていたのですが、そのとき恥ずかしながらこれが特殊な色使いの壁だと初めて気づかされました、そんなの全国どこにいってもないのです。
金沢では普通だと説明した後の先輩たちの反応は、センスない・どぎつい・落ち着かないなど散々でした。
あとあと実物を見ると反応は、思ったより落ち着いてる・なかなかいけると若干変わっては行くのですが…。皆さんはどう思われますか?


京都や各地の町屋と金沢の町屋の違いをファサードからの違いを専門家的に指摘する事は可能なのですが、門外漢の人が見れば木造2階で瓦があって、平入りで、格子が着いて、たぶん同じに見えちゃうでしょう。一番解りやすい違いは内部の「壁の色」なのです(まあ、町屋に限って色が付いてる訳ではないのですが)。
こんな派手な色が好まれたのは、諸説あるようですが、金沢は雪が多くどんよりとした日が多いので内部を華やかにしたという説が強いようです。今週のこの大雪が1ヶ月も2ヶ月も続けばそうかもしれないな~と、雪かきで痛い腰をさすりながら、これこそ金沢のガラパゴス建築、雪が文化を創ってくれたとすると、雪かきもしょうがないと納得。





























月曜日, 2月 07, 2011

ライトなお茶会

もう1ヶ月もたちますが、お正月に訪問したお宅でお抹茶を頂きました。
伺った家はマンションの一室で、そこの和室でお茶を点ててもらったのですが、別に炉をきった茶室なわけでもなく、「けっこうなお手前で」とか形式的に言うでもなく、全くコーヒーブレイク的にお抹茶を頂いただけなのですが、一様最低限必要な道具は揃っていて、味と雰囲気は味わえてなかなか良いものでした。


この軽いのりのお茶会ところに実は金沢らしさが垣間見えます。
普通の古さの町屋の2階には結構一般のお宅でも炉の切った和室があったり、新建材で造られた最近の住宅でも炉付の和室が結構あります。
大人は人様の家に上がってもうろうろできないですが、子供のころは人の家の中全体で遊びまわっていたので、小さいころそんな和室をよく目撃しました。

茶室があるなんていうと、大豪邸か文化人のお宅をイメージするのかもしれませんが、私がそんなところで遊んでいたはずもなく、ごく一般的な家庭の一般的な住宅でのはなしですです。

なにがいいたいかというと、もちろん綿々と受継がれる作法や流派がきっちりありますし、隣の奥さんは師範だよとか、お花の先生だとかいうかたもいっぱいいらっしゃるし、粋な茶室もいくつも残っていますが、そおいう事ではなく、マンション住まいでも茶道具があったり、普通の住宅に炉があったり、茶道というほど大げさでなく「お茶を点てて楽しむ」事が他の地域よりずっと気軽な普段着ぽい感覚で今でも残っているような気がします、この「ライトな感覚で残っている事」が金沢のいいところだと感じませんか?

水曜日, 2月 02, 2011

大雪で解った事 「路地の広がり」

週末に北陸地方は大雪が降りました。
ニュースの全国版で報道されるほどJRも高速道路も2日間マヒ状態で大変です。
夜のうちからしんしんと降る雪をみて明日の朝の出勤に備えて、少しでも雪かきしておこうとスコップをもって外に出ましたが、やってもやってもすぐに積もるので、お隣さんとも「今日はジタバタするのはあきらめよう」といいながら撤収。
月曜日の早朝心配になって家の前へでてみると案の定、道路も駐車場も真っ白でこりゃ大変だと青くなりました。近所を見渡すと、たまたまなのか?あらかじめ非難したのか?ご近所さんの車がいつもより少ないです。それもあってなのか…?いつもと何かが違って見えました。

我が家の前面道路の幅は4.5m、車を停めるために家の前に5mの空地があります、お向かいさんも3mほど空地がありますので我が家とお向かいさんの間は12~13m空間が開いています。役70mほどのここの街区はお向かい同士の関係はほぼ同じです。
それがいつもより広く感じます。
向かいとの距離は変わるはずがないのになぜだろう?と考えると、道路と敷地の境界線が雪でなくなり長さ70m幅12~15mの一体的な外部空間に見えるのです。

普段も道路と家の前面空地の仕上げ材を統一すれば、晴れた日もこの広がりが感じられるのだろうと思います。なかなかそうはいかないのですが近隣と道路管理者が協力すると味気ない路地が帯状の広場になれる事が雪のおかげで確信でき、大雪もまあ今回はしょうがないと思いながら朝の雪かきをしたのでした。