山本基さんが出演している人間力見ました。
うかつにも感動しました。
金沢の大野町の芋倉を大事に使っている様子がうれしかった。
通称・海辺のアトリエ。
ぼろぼろの蔵を基さんのアトリエにリ・デザインするにあたって、彼と議論をしたのを思い出した。
基さんの作品は白いホワイトキューブの中に置かれる事はあまりないのだから蔵の雰囲気を残したインテリアでいいのではないか?
毎回違う場所でインスタレーションを行うのだから、作品を構想する空間はニュートラルな方がいいのではないか?
という2つの考えで議論が白熱した記憶がある。
最終的にはTVにも映っていたように、白いニュートラルな空間のアトリエとなった。
家族で番組を見ていたが、始めはチャンネルの選択に不満げな子供達がいつの間にか見入っている。
番組内でもドイツの神父さん曰く、小さな子供たちがこのようにおとなしく作業を見ていることが信じられないと言っていた。
子供達の様子は理屈がなくても感じさせたということだろう。
自分の息子を感動さす建築を自分はできっかな~と嫉妬さえ覚える。
番組内で作者が「自分の作品には高さがない」と言っていた。
以前は同じ塩を使っていても立体的なものが多かった。
昇りきれない階段や、行き止まりのトンネルなど。錆びた鉄板も作品に取り込まれていた。
なぜ床にこだわるようになったのだろうか?鉄はなくなったのか?と考えながら画面が過ぎていった。
「立体」の頃と「床」の私的な印象の違いは、
立体のころはエネルギッシュな感じ、もっというと暴力的でさえあるよう感じていた。
床に行ってからはやさしい感じがする。
妹さんの事が「塩」を使う理由の大きな部分を占めているとすれば、
立体のころは悲しさ・くやしさ等、言ってみれば「壁を蹴飛 ばしたい」的な印象。
床シリーズはもっとなんていうか、やさしく「受け入れる」的な印象。
テレビ画面にをみながらぼんやりと、もしかして「鉄」と「塩のレンガ」をやめて「塩だけ」と「固めない」事が一番重要なのかな~、「サクラ」や「迷路」に目は行くが実は円と塩が伝えたいことなんじゃないか?と思いながら番組は終わった。
不純物と余計な作業を取り除いた、その結果として立体として自立しない塩粒では当然床に描くしかない。
そういえば床作品でも初期のものはエッジが徐々にぼやけて行ったり、崩れていたりというのを作っていた。
それが円という純粋な幾何学になって、材料も純粋になって、作業も「描く」事だけで出来上がる…。
「自立(自律)の否定と純粋性」とか「自立できないことこそ自然な状態」とか…テレビの感想。
関東などはこれから放送されますぜひご覧ください。
山本さんのウェブサイト http://www.motoi.biz/
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