木曜日, 5月 20, 2010

金沢の建築家4



吉島衛

前回の平口氏、今回の吉島氏そして松島氏を加え3人を「金沢アトリエ派三銃士」と勝手に呼んでいます。

今回はそのうちの一人、吉島衛さんについて。
細いたれ目が人柄を表しているようです。とても紳士な方です。建築家はおしなべてエネルギッシュですが、力が抜けた雰囲気が漂います。手書きのスケッチがなんとも「味」があります。車が大好きなのに運転はあんまり好きじゃないらしいです。






20代は船越徹先生のアルコムで修行されました。「建築計画」の本流のような事務所だと言えるとおもいます。公共的施設を「制度側」からではなく「利用者側」から考えるという事を実践したパイオニア的事務所の一つです。「作家性」が強いその世代の建築家にあって、ある意味正当な系譜をたどってきた金沢で数少ない常識派ではないでしょうか。





だからなのでしょうか、よく口にされる言葉が「施主との価値観の共有」です。
これは当たり前のようですが施主の欲求実現にメーカーであれば「仕様」が、建築家であれば「創りたい欲望」が介在します、そこで大なり小なり施主に不満が発生します。これは他者に作ることを委ねる以上避けられません。しかし「価値観を共有」する、即ちクライアントと同化することができれば理論的にそんな事態は起こらないはずです。
個人住宅であっても「町並みへの参加」ということも常に意識しているのも「公共」の建築を考えるアルコムのDNAなのでしょうか。


もう一つの口癖は「上質で洗練されている事」です。「高級」とは違うようです。作品はローコストから大邸宅までありますが、「上質」を感じます。その訳を考えると、工夫されたプランではありますが「明快」で必要以上に複雑なプランではありません、非常に整理されています、視線の通り方や軸線を設定する手法などが住宅でも用いられています。デザイン的にも立体・面・線という事が非常に意識されこれも整理されデザインの格闘の痕跡は隠されていることに「洗練」を感じます。床の抜けたフィアットが一時期愛車でしたが「級」より「質」を重んじる吉島氏らしい伝説です。

私が最も敬服するのは相手を認めるということです。長くお付き合いさせていただいていますが「上から目線」を感じたことはありません。下の世代の建築家の意見にも対等に聞き入れます。良いものは良いと認めて、取り入れるべきは取り入れます。ただし「手を抜かれた建築」には短く厳しい言葉がぶつけられます。

「理論武装された醜悪な前衛より上質で端正な保守を選ぶ」という道もあるべきだと思わされる建築家です。

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