金曜日, 7月 23, 2010

be the Peter Rice

「常識」とは、「既成概念」 以外の何者でもない。
それ以上でも、それ以下でもない。
そこに既成している概念。
ただ、それだけ。
領域に線を引かなければ無限に存在する。

人間の価値は様々の要素により決定させると思いますが、
固定観念の広狭 も、その一つで然りだと思います。

私は固定観念の広義な人間と会話をしていると、
非常な面白さを感じます。

固定観念を広げる術は、様々の既成概念を知ること。
様々の既成概念を知っている人間にとって、
「常識が無い」という表現は成立しないのではないかと、
「常識が無い」とは、
それを表現する人間の固定観念が広義で、「此の領域の既成概念には当てはまらない」という意味で使用している。
もしくは、
それを表現する人間の固定観念が狭義で、自分の所有している既成概念しかないので否定している。
その、何れか。

建築に携わる人間の値段は、その固定観念の広狭という要素は非常に大きいのではないかと思います。
つまり、いかに多くの既成概念を知っているか。

「概念に捕らわれない発想」は、恐らく存在していなくて、
ある領域の概念には捕らわれていないが、ある領域の概念には必ず捕らわれているはず。
故に、沢山の既成概念を知ることで、創造性が増える。

それを知る手段は、時代と共に簡単になり、電子的なメディア、紙ベースのメディアで、日本の、世界の先端の既成概念を知ることが出来る。

しかし、
そこで物足りなさを感じるのが、使用している感覚の少なさ。
五感、もしくは、建築的な六感の中の一つ、もしくは、二つしか使用できていない。

小生は、人生において、
その既成概念の中でより多くの感覚を使用する行為の必要性を信じ、
中央で行われている事象に参加することにしました。

文化的衝撃を受けることは認知済みで、
後は、六感がどれだけの期間でその既成概念に慣れ、社会通念と成るのかは未知。
常識と成らない場合の結語は、考えないように。

「かなけんしゅう」を通して、知れたことが以外に多かったことは確かで、
発展のさせ方で将来の、とある手段になることも確信に。
小生は、この投稿を最後に取合えず、ブログを離れます。
強い光に成る要素を含んでいることは理解しました。
個人的には、試作や実験に近い感覚で行っていた、このブログ。
反応を試したいことは、まだありますが、もうそこに消費すべき時間も力もないね。

何か、この領域の既成概念では生じることのない発想が沸き、
実験を実施したい衝動にかられたら「かなけんしゅう」の場をお借りすることになると思います。



オーラと哀感が漂うオールドマンと成ったオブ・アラップに出逢った、未だ固有名詞と化していない若き日のピーター・ライス よろしく

“エンジニアたるもの、変わらなければならないのは他ならぬ自分自身でもあることを心得ておくべき”
オブ・アラップ



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2 件のコメント:

  1. はじめまして。なんだか難しいことに挑戦してますね。
    頑張ってください。

    返信削除
  2. すずこさん、どうもありがとうございます。
    かなけんしゅう のメンバー以外の投稿の存在が、
    メンバーにとって、一つの可能性を信じさせる光になっています。
    これからも、応援というか、コメントという反応をよろしくお願いします。

    「難しいことに挑戦。」
    あ~、なるほど。
    私自身がそう感じてしまっているから、
    そういう表現になってしまい、
    第三者は「難しい」と映ってしまったのだな~。
    と、痛感しました。

    想いとしては、
    難しいことをやりに行くのではなく、
    当たり前のことをやりに行く。
    こちらが、実は、正しいです。

    私は、中央の第一線で活躍されている構造設計者と接触する機会があると、必ず、構造設計のやり方をお伺いしています。
    返答は、
    「他と同じように、普通のことをやっているだけ」。
    さぞ、難しい技術を論じられるのかと期待していた小生は、肩透かしをくらった記憶があります。
    ただ、面白いのが、聞く人、聞く人、どなたも同じ内容のことを解答される。
    そして、今の私の中には、その方が論ずる普通が存在していない。
    普通のことに挑戦しに行きます。
    間違いなく、頑張ります。
    コメント、どうもありがとうございました。

    返信削除

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