木曜日, 8月 19, 2010

数奇屋 is digital


もう6月のことになりますが建築家・中村昌生さんの講演会へ行ってきました。
ご案内いただいた方からは、「金沢で講演が聞けるのは最後かも」と、ちょっと失礼な感じもしないでもないですが、御歳83歳、しかし講演の態度はお元気そのものでした。
中村先生は日本建築学会賞・日本芸術院賞などを受賞された現代の和風建築の大巨匠です。
国の和風の京都迎賓館の監修をされた先生で、金沢では兼六園の時雨亭再建の監修をされています。

スライドを使用しての講演ですが、ウェイティング状態で一枚目の写真にパルテノン神殿が映されています。???和風の話じゃないの???とおもいながらも、むしろ面白い話の展開が期待できます。

テーマは「数奇屋建築の美」
それでは先ほどのパルテノンはなにか。
注目すべきは建築の足元。
パルテノンも伊勢神宮も同じ柱・梁形式の建物であるが、足元すなわち柱と地面の接点に「基壇」があるかないか。
ご承知のとおりパルテノンには大きな基壇が横たわり、伊勢は掘っ立て柱で地面に直接立っている。まあこの辺は教科書どおり。

何れも神のための建物であるが、それぞれの形式が民の建物に降りていった時に違いが現れる。オーダーで出来ている西洋建築は建物が大きくなろうが小さくなろうが厳格な比例で作られるため、人が上れない基壇の建物となる。比例が人より優先する建築が西洋建築であるとご批判。

それを聞きながら、以前写真でみた吉村順三さんが基本設計された皇居のデザインは、アルミキャストの柱が直接グランドラインと接しているのを思い出す。常々、国家には和風・あるいは神道形式と見せかけてモダニズムのデザインをしていると見て取った事を思い出す。

中村先生が数寄屋建築の研究を志したきっかけは桂離宮を見て感銘を覚えたからだそうで、そこに権威ではなく不易の原理を見たからだそうです。
言うまでも無く「桂」は宮家の建物、権力者の建築であるにも係わらず権威的には造られない。
大陸から伝わった寺院建築には見られない日本本来の精神に基づいているとのこと。

ブルーノ・タウトが桂を絶賛し、陽明門をキッチュと切り捨てた事を思い出す。

さらに日本建築の特徴をレクチャーされる。
二つ目は設計図が残っておらず寸法が文章で伝えられていること。「それで全て出来ます」と先生は言い切っていた。
三つ目は床と小壁(下がり壁)が日本建築を規定していること。
四つ目は庭と建築が一体となり体をなしていること。

私が面白いと思ったのは、二つ目の「図面ではなく文章で寸法が伝えられる」こと、
「天井高は七尺、内法五尺八寸、柱見付三寸五分でソウロウ……云々」というようなやつ。20代のころ残月亭写しの茶室を設計する時、堀口捨己さんの文語体の本を読みながら四苦八苦した事を思い出した。でも確かにそれで展開図が書けた。

私が面白いと思ったのは、画像が無くても文章で立ち上がる日本建築というのは、コンピューターにプログラム言語を入力すると作業を実行するしたり、意味不明のHTMLタグを打ち込むとそれがディスプレイ上では画像として現れたりするデジタルの世界と同じだなーと講演を聞きながらぼんやり考えたいた。

日本建築が文章で伝えられること→合理性を求めた欧米の近代建築家が日本の在来建築に注目したこと→合理主義の挙句にデジタル社会が訪れたこと→さらに現代でも日本の建築家が欧米で注目されること、この4つは一つの線上にあると思える。

今回の気づき……数奇屋はデジタル。


にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 金沢情報へ
↑ランキング参加中クリックお願いします
人気ブログランキングへ
↑ランキング参加中クリックお願いします。
ブログランキング
↑ランキング参加中クリックお願いします。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。